5年生になり、交流学級で行く普通級での授業はさらにスピードアップしました。書くことが苦手で、特に板書を書き写すことの困難さが顕著になった頃です。
なんとかノートが取れるようにと、板書をカメラで撮ったりもしましたが、上手くはいきませんでした。
それでも普通級に戻ることを目標に、普通級で過ごす時間を増やし、学習のスピードや友達関係の雰囲気をつかもうと努力していた三男です。
うちの三男、グレーゾーンボーイです。
こんちには。つつじ屋です。
地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしています。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強大好き
次男 大学生 自由大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
小学5年生も支援級に在籍
生徒数は変わらず12人、先生も4人体制
勉強はさらに難しくなり、スピードも上がります。学習の進度だけでなく、作業や行動などあらゆる面でのスピードが速くなりました。
三男はついていくのに必死です。やらなければならないことが増え、一つのことをやろうとするともう一つを忘れてしまう、そんな場面が増えていました。
5年生で課題になっていたこと
板書をノートに書き写すこと
横に置いてある教科書などをただ書き写すだけでも一苦労の三男。
黒板に書いてあることを読み取り、覚えてノートに書く、この作業の難しいこと。一つ書けても再度黒板を見た時どこを書いていたのか分からなくなってしまう。
黒板に書いてあることすべてを写すのか、ノートのどこに書くのか、どんな大きさで書くのか、一つ一つが三男にとっては高いハードルです。ぼやぼやしていたら消されてしまったり・・・。
そこで支援級の先生からカメラで撮って後から整理するようにしてみたらどうか、という提案を受けました。
自分でできるところは自力で書き写し、できそうにない時はカメラで撮ってプリントアウトしてノートに貼る、という流れです。交流学級の他の生徒さんから何か言われないかな、ということも思いましたが、それはなかったようです。
この方法は少しの間やっていましたが、いつの間にかやらなくなっていました。カメラで撮ってプリントアウトしてノートに貼るという作業が案外面倒だったのかもしれません。本人はもとよりフォローする先生も・・・。
先生の話を”ノートにとる”ということ
授業中に先生が話したことで重要だと思うことをノートにとる、ということは、中学校へ入ってからも大切な学習スキルです。板書以外でも、話の中に重要なポイントはあります。それを自分で判断して、板書も写しつつ書き留めていくという、高度な作業です。でも、そんなことは三男にはとても大変なことだろうと思っていました。
後で見返した時に思い出せるように、とよく言いますが、そんなハイレベルなノートをとることはかなり難しいです。ノートをとったり板書を書き写すことが目的になってしまって、肝心な授業の内容が何一つ頭に残っていない、なんてことが起こりがちです。
三男も当然そういう状態になってしまうと思ったので、先生方には申し訳ないのですが、私としてはノートをとることはあまり重要視していませんでした。明らかにオーバーワークだろうと感じていたからです。苦手な書くことに全力を傾けるのではなくて、しっかり聞いていてほしい、と思っていました。なので、三男から
「最近はカメラで撮ってないよ」(三男)
と聞いた時も
「まあそれでいいよね。」(つつじ屋)
と少し安心したような気持になりました。
高学年になるとクラブ活動や部活動が始まります。
クラブ活動は文化系のクラブへ
クラブ活動は4年生から始まっていて、4年生の時は生け花クラブでした。5年生ではクッキングクラブです。
実は4年生の時もクッキングクラブを希望していたのですが、希望者が多くて誰が入るのかもめたそうです。そこで三男が
「おれ、かわるからいいよ。」(三男)
と言って生け花クラブになったわけです。実際に生け花は全然楽しくなかったそうです。
そんなこともあって5年生では優先的にクッキングクラブに入れました。
「今度〇〇作るよ!おれの担当は〇〇だから用意しといてよ!」(三男)
と、家に帰って来ては私に報告し、とても楽しみにしている様子でした。
部活動は陸上部。
体を動かすことや走ることは大好きなので、こちらも楽しそうに休むことなく6年生になっても続けました。
もちろん陸上部の選手に選ばれることはありませんでしたが、、、。
みんな、いずれは普通級に戻る、、、?
普通級に戻るのは難しい。
3年生から支援級に移った同級生4人は、みんな当初はいずれ普通級に戻るという気持ちでいました。でも5年生になって、普通級への移行を本格的に考えていたのは、三男ともう一人の男の子の2人だけになっていました。
やはり支援級から普通級への移行は簡単ではないかもしれません。
支援級の居心地の良さや手厚いフォローを体験してしまうと、そこから飛び出すのには勇気がいります。
でも、私たち親子に能力があったとか、勇気があったわけではありません。私は同級生がみんな普通級に戻るものだと思い込んでいたので、流れでそうするものだと思って動いていたにすぎません。
何度も言っていることですが、この時の決断が正しかったのかはやっぱりわかりません。
追伸:高校生(専修学校生)になってみて(重要)
高校は支援級だったお子さんと同じ
同級生の男の子で、小学生から中学生の間ずっと支援級で過ごした生徒さんも、同じ高校(専修学校)へ入学してきました。
【重要】結果的には、別に無理をして小学校高学年や中学生で普通級に編入しなくても、そのまま支援級で高校(専修学校)には合格出来ることが分かりました。内申点がなくても高卒資格の取れる学校へ行くことはできました。
グレーゾーンの子どもを持つ親のみなさんに参考になればと思います。
通知表には評価はつきません。
”学習と生活の総合所見”
「学習面では交流学級での経験が生きているようで、物事を考える力がついてきました。生活面では友達と話し合う場面で自分から話しかける姿が多くみられました。交流学級の中で友達とのかかわりが自然とできています。」
と書かれていました。
書くことの苦手さが顕著になった
周りの生徒さんのスピードについていくことはとても難しい
自分ができることとできないことを把握し始め、上手く付き合うように行動し始めた
普通級に戻ることを嫌がらずに頑張っていた
5年生の頃は少しずつ普通級での過ごし方を覚えていく、そんな1年でした。支援級の先生方の応援を受けながら、よく頑張っていたと思います。自分で自分の道を切り開く、というような強さがあるわけではありませんが、言われたことや決まっていることはきちんとやるという面が、三男の素直な良さだと思っています。
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↓こちらは支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事です。
↓こちらは体調の悪さを誰にも伝えられない不安について考えた記事です。