現在高校2年生のグレーゾーンボーイの三男が、どのように保育園時代を過ごしてきたかをお話させていただきます。
やはりこの頃から、字を書くなどの勉強に通じるようなことは苦手でした。
みなさんとグレーゾーン(発達障害)の子どもとはどの様な感じなのか?を共有できればと思います。
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事(+ちょっと愚痴)などを通じて、少しでもグレーゾーンのお子さんを持つお父さん・お母さんのお役に立てるような記事が書ければと思っています。
はじめに 保育園入園式
保育園には年少から入園しました。
同じ保育園に、同じ療育施設に通っていた友達もあと2人いて、心強かったですね。
加配の先生もついてくれていました。
なぜなら、私から離れて一人で行動するのは、ほぼ初めてだったからです。
いつもはどうにかこうにか捕まえて座らせていたので。
が、予想に反して、大人しく座っているではありませんか。
キョロキョロキョロキョロ、周りを見回してはいましたが、自分の場所を離れることはありません。「やればできるじゃん。いつもやってよ~。」
こちらは生まれてから保育園までのお話です
保育園時代の気になったこと5つと対応
№① 落ち着きがなく、衝動的
興味のおもむくままの行動とケガの多さ
保育園に通うようになってからは、少しずつ先生の指示も通るようになっていきました。
ただそれも長い時間は無理だし、先生の目が離れれば相変わらず自分の興味のおもむくままに行動していました。
お遊戯会や運動会は大好きでしたが、常に先生に行動をロックオンされていました。突然立ちあがったり、走りだしたりすることもあったからです。動いてもいいタイミングとか、やり始めてもいいタイミングとか、まったくお構いなし。
お遊戯会や運動会は周りの友達にも影響するので、先生もロックオンせざるを得なかったと思います。
目に見えたものに突進するので、日常生活ではケガも絶えませんでした。
ある時は家の中で転んで椅子に顔をぶつけ、おでこから流血。危ないから走らないでと言ったそばからおもいっきりこけました。「だから言ったじゃん・・・」と言いたくもないセリフも出てしまいます。
またある時はやはり家の中で転んで段差に口をぶつけ、歯ぐきから大・大・大出血!当然大号泣でしたが、血も止まったのでまあいいかとそのままにしていました。
しかし、後々虫歯の治療で行った歯医者さんで「あ~これ、縫った方が早く治ったかもね。」と言われてしまいました。ごめん、三男くん。
またまたある時。保育園の門の前で思いっきり転び、目の上からまた大流血。そばにいた先生から「あ~、このまま病院に行ってもらった方がいいかも・・・。」と言われてしまいました。
「はい、いってきます・・・。」この時の傷は痕(あと)に残っています。
わたしの対応
この衝動性、落ち着きのなさというのは厄介で、高校生になった今でもその傾向はあります。
パワーの塊の保育園の時に、この性質をおさえるのはなかなか難しいです。
親や周りの大人が常に気を配って、本人や周りの子どもに問題が起こらないようにしなければなりません。
声をかけるだけでは本人には伝わらないことが多いです。
成長するにつれ、少しずつ落ち着いてはきます。
ただ保育園の頃は、明確に衝動性をおさえる方法がないため、それこそ命に直結する可能性もあります。
この時期は私自身、最も神経をすり減らしていました。
自分の子どもだけでなく、周りの子ども、はたまたその保護者までにも気を遣う場面も出てきます。
具体的に車から降りる前に手をつなぐことを約束したり、これからやることを前もって伝え、どのように行動すればいいかを話す。
上手くいかなくても、適切な行動を少しづつインプットしていくしかありません。
ただ本人には悪気があるはずもなく、親だって一瞬たりとも目を離さないなんて無理なことです。
親子ともども元気が一番。ストレスがかかりすぎないよう、肩の力を抜いていきましょう。
グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
№② 感覚過敏
大きな音や強い風などへの恐怖心と自分の傷への過剰な反応
目に入ったものめがけて猪突猛進。
それなら肝っ玉が据わっているかと言えば、まったくそうではないのです。かなりのビビり。
例えば、大きな音、強い風などは大嫌い。
これは高校生の今でもそうです。遠くで上がる打ち上げ花火も苦手です。
家の中にいて、花火が上がる音がしたり、風の音が聞こえるだけで、かなり怖がります。
保育園の頃はお祭りでみんなが出す花火の音に耳をふさいでいました。
音の大きさや風の強さは、わたしには全く気にならないくらいでも、三男にとっては恐怖を覚えるレベルだったようです。
台風が来た時などは本当に怖そうで、保育園の頃は怖くて眠れない夜が何回もありました。
そんな時に、音なんて怖くない、家の中にいるんだから大丈夫、なんて言っても、本人が納得できるはずありません。怖いものは怖い。嫌なものは嫌なんです。
三男の場合は、怖いよね、嫌だよね、もう少しで終わるからね、と三男の気持ちを言葉にしてこちらが言って、こっちも分かってるよ、と伝えてあげることで少しは安心できていたのかなと思います。
この安心が大事かと。
食べ物に対しての過敏はあまりありませんが、柔らかい食感は少し苦手です。
特に米を柔らかくしたもの、おじやとかお茶漬けとかは無理です。あんこも無理。いちご大福を食べた時はびっくりして泣いていました。
一度無理となると絶対に再チャレンジしようとはしません。
過敏すぎることはありませんが、それなりに拒否するものも多いです。
そして、見えるか見えないかの本当に小さな傷もとても気にします。
「これ、すぐなおる?」
と、いつも心配そうに聞いてきます。
今でもそうです。そしてバンドエイドを貼ると治ると思っているのがかわいい。
でも、本当に小さいんです。老眼のわたしには見えないくらい。
そんなに痛くはないらしいのですが、傷を見つけたらそのままにはしておけない。とにかくバンドエイドで守らなければならないのです。
痛いからとか血が出ているからという問題ではなく、自分の身体にきずがあるのがたまらなく不快、ということですね。傷過敏症とでも言いましょうか・・・。
病院の先生の話では、自分を守りたい気持ちが強いらしいです。自分に害をもたらしかねないものに対しての恐怖心はとても強いようです。
わたしの対応
過敏には理由があります。周りの大人にとってはどうでもいいようなことでも、本人にとっては自分の存在をもおびやかすもことなのかもしれません。ここでも否定は禁物ですね。
過敏なことで誰かに迷惑がかかるわけではありません。なので、無理になおすこともないですよね。親としては少し面倒だなと思いながらも、「嫌なこと、分かってるよ。」と伝え、安心させてあげるといいかなと思います。
№③ 不器用さと気になる歩き方
手先の不器用さやつま先立ちの歩き方
保育園児でそんなに器用な子はいないでしょう。
それでも三男の不器用さはやはり人並外れたものであったと思います。
ハサミが使えなかったり、クレヨンをどれくらいの強さでかいたらいいのか分からず、バキバキに折ってしまったり、上着の大きなボタンが閉められなかったり、箸も上手く使えませんでした。
もう数えだしたらきりがないほどです。カバンに持ち物を入れるだけでも一苦労です。
当然、何かを作る工作のようなことや、絵を描くことは大の苦手。
先生が、「顔を描くときは、ここが目、鼻、口、とだいたいの位置の目印を先に描いておきます。そうじゃないとぜんぜん描き始めないんですよね~。」と言っていました。
そういう時は、先生がマンツーマンで手取り足取り手伝ってくれていたようです。
不器用さもさることながら、気になっていたのは歩き方です。
つま先立ちで弾むように歩きます。かかとから着地することはありません。かかとは使ってなさそうです。おまけに内また。
保育園に入園する前に通っていた療育施設の施設長さんからも、最初の面談時に「つま先立ちだね。」と指摘されました。発達障害の傾向のある子どもにはよくあることなのかもしれません。
わたしの対応
「かかとから着地してみな。」と言ってみたこともありました。
歩き方教室みたいなものに通ってみたら、もしかしたら少しは改善されたのかもしれません。とはいえ、本人は困っていないのです。歩き方がおかしいなんて、考えたこともないでしょう。
わたしも気にはなっていたものの、たいして対策もしませんでした。
いつも気にして声をかけるのも疲れるし、三男も毎回そんなこと言われたくないだろうし。ここをお互いに我慢して乗り越えれば、もう少し自然な歩き方が身に着いたのでしょうか。
自分もそんなに頑張りたくないし、三男にもあんまり窮屈な思いをしてほしくないと思っていたので、いろんなことがそんな感じです。
あの時もっとやらせていたら、違っていたのかなと思うことは多いです。でも、誰にも迷惑をかけていないのに、三男の行動一つ一つを変える意味も必要性も、正直あまり感じてはいませんでした。
不器用さも歩き方も、体の使い方の感覚が鈍いということでしょうか。自分の身体なのに、思うように動いてくれない。はさみを閉じれば切れるはずなのに、なぜだか切れない。足もまっすぐ出しているつもりなのに、半円を書きながら歩いている。
不器用さは今でも健在です。靴紐は結べません。自転車も何もない所で転びます。定規でまっすぐな線を引くのも苦手です。この先もこの不器用さとは付き合っていかなければなりません。それができないとどうなるのか、代替手段はないのか、生きやすさを求めるならそういった工夫が必要かもしれませんね。
№④ 自分本位のコミュニケーション
一方的に話しかけるなど人との距離感がよくわからない
三男の性格的に、友達とけんかをするということはありませんでした。
誰かとトラブルになったという話を聞くことなく過ごせたのは有難かったです。
保育園に行くことを嫌がることもなく、毎日楽しそうに通っていました。
おそらく、先生たちもいろいろ気にかけてくださっていたのでしょう。三男は先生が大好きで、友達と遊ぶより、先生にかまってもらうのが嬉しかったようです。
保育参観などで三男と友達との関わりを見ると、三男が一方的に話している場面もよくありました。
それも自分ひとりで盛り上がって一人で笑っているという・・・・。どの子に対してもそうで、思いついたことをそばにいた子に話す、という感じでした
友達は特に気にしているようではありませんでしたが、変わってると思われるのではないか、そのうち相手にしてもらえなくなるのではないかと少し心配になったものです。
結果的に三男のそのスタンスは変わることなく、友達からも特に嫌われることもなく、独自のキャラを貫いたのでした。
この友達との関わり方もそうですが、コミュニケーションということで言えば、友達のお母さんに対しての距離感にも悩まされました。
保育園で友達よりも先生が好きなだけあって、友達のお母さんにも相手になってもらいたがりました。
百歩譲って友達のお母さんならまだよくても、公園で会う全然知らないお母さんにもかまってほしそうなオーラを出しまくるのです。
これ、結構やっかいでした。
相手のおかあさんも初めは相手をしてくれますが、そうすると三男は調子乗ってしまいます。
そのお母さんだって、自分の子どもから目を離したくはありません。でも、話しかけてくるこの子をむげにはできない。そのお母さんの心の葛藤が手に取るように分かります。
「早くどこかへ行ってくれないかなあ。この子のお母さんはどこにいるの?」そんな心の声も聞こえてきました。
当然わたしは何度も三男を引き留め、こちらへ来るようにうながします。でもすぐにまた行ってしまう。
「この子の親、いつもこの子の話聞いてあげてないんじゃない?相手にしていないんじゃない?」
と思われているようで、わりとキツイ状況でした。
こちらは小学生の頃、普通級の子どもさんと上手くコミュニケーションが取れなかった時のお話です。
わたしの対応
なので、保育園の送迎時や公園など親子連れが多い所へ出かけるのは、気が引けたものです。
保育園では顔見知りのお母さんが多いので、「ごめんね、いつも話しかけちゃって。」でやり過ごせても、見ず知らずの人には「スミマセン。」と頭を下げていました。
そんなときの帰りは、三男に「あんまりよそのお母さんにべったりしないようにしようか。あのお母さんも自分の子どもと話したいんだよ。」と話していました。三男には理解できなかったでしょうね。
この人と関わる距離感を、発達グレーの傾向のある三男に伝えるのは容易ではありませんでした。
毎回、もう帰るよ、べったりしちゃだめだよ、と言い続けるだけ。でも、成長していくと少しずつこのかまってオーラも収まっていきました。結局その時を待つしかないのでしょうか。
№⑤ 学習することの難しさ
やったことがない事への不安や苦手意識
ひらがなの練習も大変だったようです。
一向に書き出さない三男に、先生が「どうした?どう書けばいいかわからん?」と聞くと、「・・・こわい。」と答えたそうです。こわいってどういうこと?
家で字の練習をしたことなどなく、三男が書く字を見たこともありません
なので、三男が書く字に対して「きたない!」などと怒ったこともありません。
”お母さんに怒られるからこわい” ではないと思うのです。
”怖い” の意味もわかっていたのかどうか・・・。
今考えるに、書くことへの不安や、どう書けばいいのかわからない気持ちをうまく表現できずに、”こわい” という言葉になったのかもしれません。
ほんとは、母さん、こわいし、、、
先生はおそらく、手取り足取り付き合って下さったんだと思います。鉛筆の持ち方から線の上をなぞることなど。先生の忍耐力に感謝です。
こちらは中学校に入学してからの、ちょっぴり悲しいテスト結果のお話です。
↓こちらは”手帳”を持てないグレーゾーンの息子の将来(仕事)について考えた記事です
わたしの対応
これについてはもう少し対策がとれたかなと思っています。
ひらがなを練習することはなんとなくわかっていたので、前もって少しでも練習させておけばよかったと。
嫌がるでしょうが、一度でもやったことがあれば心の準備もできるでしょうし、「かいたことあるよ。」と本人の自信にもなったはずです。
私がめんどくさがりなために、保育園に全部お任せしてしまったので、保育園の先生にも三男本人にも負担をかけてしまったかもしれません。
このときの私は「字なんてそのうちだれでも書けるようになるから、どうでもいいや。」くらいに考えていたのですが、そういうことではなかったのかもしれません。
苦手なのが分かっているなら、その気持ちを減らしてあげるような働きかけが必要なんですね。
ほっといてできるのなら、定型発達児。
発達グレーの特徴を持つ三男には、「やったことがある」という経験が安心につながり、ひらがなの学習ひとつとってももう少しスムーズに進んだ気がしています。
今でも書くことは大の苦手です。
当時私はそんなに気にしていなかったのですが、苦手感(能力的にも難しい)はそのころから本人は感じていたのでしょうね。
それでも、三男が高校生になった今思うのは、「前もって経験させておくことで安心感を与え、学習内容が入りやすくなる」というのは、せいぜい小学校のころまでのような気がします。
そもそもの力が足りないので、どうしてもその差は埋めることが難しくなります。
学習については定型発達児との差はどんどん開きます。
まだ保育園の頃はその差は顕著ではありませんが、学年が上がるにつれ、歴然としてきます。
発達グレーということは、境界知能である場合も多いです。
三男もそう。IQは80をきります。努力ではいかんともしがたい、能力的な問題があるのです。
それを親子ともども受け入れられるか。親が目くじら手てて追い込まず、子どもも卑屈になることなく、それが自分だと受け入れていく方が楽に生きられそうです。
↓発達障害のお子さんもたまには外へ出てみよう!↓
【まとめ】グレーゾーンの子どもの保育園時代に気になったこと
三男が保育園だった頃のことを思い出して、当時気になっていたことをあげてみました。
ポイントとしては、何をとっても三男本人に悪気はないということです。
誰かを困らせようとしているとか、特別わがままを言っているわけではありません。
ただ自分の気持ちに正直に行動しているだけです。それが時に少し変わって見えることがあるのです。
そして大切なのは、否定しないで認めてあげること、安心させてあげることだと思います。
当時のわたしにそれができていたかは微妙です。結構しんどいなあと思うことも多かったからです。
発達グレーの子どもも、必ず成長します。
ゆっくりなだらかに。時間はかかりますが、少しずつ親の気持ちにも余裕が出てきます。あせらず、ぼちぼちいきましょう。
出典:文部科学省公式サイトより
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グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
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