今回のお話は『おこだでませんように』。
あらすじや読書感想文の例文、この本で伝えたいことなどをご紹介しています。対象年齢は小学校低学年(1~2年生)です。2009年の課題図書にもなっていました。
主人公の”ぼく”は何をやっても怒られてしまいます。家でも学校でも。「ぼくはどないしたらおこられへんのやろ。ぼくはどないしたらほめてもらえるのやろ。ぼくはわるいこなんやろか」”ぼく”のやりきれない気持ちに胸が締め付けられます。
ともすると大人は「この子はこういう子だから」と勝手に決めつけ、勝手に子どもの”像”を作り上げてしまいます。一般常識や体裁といったものの中で生きている大人には、そこから外れる子どもは厄介者に映ることもしばしばあります。
そんな大人の思い込みで評価される子どもはたまりません。
”ぼく”は七夕の時、短冊に「おこだでませんように」と書いたことで学校の先生に気持ちを気づいてもらえ、お母さんにも伝わりました。ちゃんとわかってくれる大人がいて、”ぼく”は自分を嫌いにならずにすんだことでしょう。
同じ思いをしている子どもや、子どもを怒ってしまう大人、きっとたくさんいますよね。それぞれの心に刺さるお話です。
- 七夕の短冊に言えなかった気持ちを込める”ぼく”
- ”ぼく”の気持ちに気づいた大人たちの気持ちの変化
この辺りが見どころであり、感想文を書く時のポイントにもなりますね。
うちの三男、グレーゾーンボーイです。
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
この読書感想文の例文を活用して、文章を「書く価値がある」の?
夏休みといえば頭が痛くなるのが「読書感想文の宿題」ですよね。
親が代筆してまで子どもの読書感想文を手伝う。などは私のグレーゾーンボーイの三男にも行っていました。
じゃあなんで読書感想文なんて書かなければいけないのでしょう。
まぁズバリ言ってしまえば「宿題」だからです。なので難しいことは抜きにして提出しなければならないものはさっさと提出できるように、この読書感想文の例文を活用して下さいね!
また小学生の子どもを持つ親御さんにとって、このブログの読書感想文を使って「書く価値がある」のかもいくつか考えてみました。
1. 子どもたちの参考となる、具体的な読書感想文
この読書感想文により、どのように文章を構成し、どのような内容を盛り込むべきかが明確になるため、子どもが読書感想文を書く際のサポート役として活用することができます。
2.子どもとママのストレス軽減
夏休みの宿題は子どもや親にとって大きなプレッシャーになることがあります。
特に読書感想文は、文章を書くのが苦手な子どもにとっては大きな負担です。子育て世代のママたちは子どものストレスを軽減し、楽しい夏休みを過ごさせたいという気持ちも強いですよね。
3. 忙しいママと子どもの時間を節約
忙しいママや子ども(子どもは暇かな?)にとって、読書感想文の書き方やアイデアを一から考えるのは大変です。
このブログに掲載された読書感想文を参考にすることで、時間を節約し、効率的に宿題を進めることができますよ。皆さんも時間を節約するために、このブログに訪れるかたも多いのではないでしょうか!
この読書感想文のブログ記事を掲載することで、多くのパパ・ママの手助けができ、子どもたちの学びがより充実したものになると考えています。
私の読書感想文が多くのパパ・ママにとって貴重な情報源となることを願っています。
絵本『おこだでませんように』あらすじ&おすすめポイント
- 絵本『おこだでませんように』あらすじ
- このお話の読みどころ&おすすめポイント
絵本『おこだでませんように』あらすじ
ぼくは家でも学校でも怒られてばかりです。
ぼくのお母さんが仕事で帰りが遅い時は、妹と遊んであげます。でもそんなときに限って、妹はわがままを言います。それで、ぼくが怒ると妹はすぐに泣きます。そうすると必ずお母さんに「また妹を泣かして!まだ宿題してないの!」と怒られます。
ぼくは「妹のくせにわがままばっかり言うからや」「妹と遊んでやってたからや」と思っても、そう言うとお母さんは怒るに決まっているから、黙って横を向きます。何も言わずに怒られているのです。
学校でも、カマキリで友達を驚かせて泣かせてしまったり、給食をたくさん入れすぎたりして怒られます。
ある日の休み時間、マー君とター君がぼくをサッカーの仲間に入れてくれませんでした。「お前はルールを知らんし、乱暴やから仲間に入れてやらへん。」と言われ悔しくなったぼくは、マー君にキックをし、ター君にパンチをしてしまいます。
当然先生に怒られますが「『仲間に入れてやらへん。』と言われたのは、ぼくの心がもらったパンチやで。」と思いながらも、黙って横を向いて怒られます。
「ぼくはどないしたらおこられへんのやろ。ぼくはどないしたらほめてもらえるのやろ。ぼくは『わるいこ』なんやろか」と悩んでしまうぼくです。
7月7日、学校で七夕様へのお願い事を短冊に書きました。ぼくはいっしょうけんめい考えて、ひらがな一つずつ、心を込めて「おこだでませんように」と書きました。
するとそれを見た先生が泣き出し、「先生怒ってばっかりやったんやね。ごめんね。ようかけたねえ。ええお願いやねえ。」とほめてくれました。ぼくはとても驚きます。
その日の夜、先生から電話がありました。するとお母さんも「ごめんね、怒ってばっかりやったね。」と言いながら抱きしめてくれました。お母さんは「二人ともおかあちゃんの宝物やで。」とも言ってくれました。
ぼくは七夕様に「ありがとう」とお礼を言います。そして「もっともっとええこになります。」と誓いました。
お話の読みどころ&おすすめポイント
いつも怒られてしまう”ぼく”。
「ぼくはわるいこなんやろか」と思い悩むほどです。言えなかった気持ちを七夕の短冊に込め、先生やお母さんにちゃんと伝わりました。先生が短冊を見て”ぼく”の気持ちに気づく場面は、心を揺さぶります。前しか見えないタイプの”ぼく”ですが、理解してくれる先生やお母さんに見守られ、のびのびと成長していくことでしょう。
怒られてばかりの子どもたち、忙しく働く大人たち、子育て真っ最中のお母さんたちに是非お勧めします!きっと子供を抱きしめたくなりますよ!
読書感想文『おこだでませんように』例文
『おこだでませんように』という題名を見て、きっと「おこられませんように」ということだろうなと思いました。
そしていつも怒られている男の子の話だろうなと思い、それならぼくと同じなのでどんな話か読んでみようと思いました。
主人公の”ぼく”はやっぱりいつも怒られてばかりでした。
七夕の短冊に「おこだでませんように」と書いたのを先生が見て、先生やお母さんが「いつも怒ってばかりでごめんね」と謝ってくれました。先生には「よくかけた」とほめられ、お母さんはぎゅっと抱きしめてくれ、”ぼく”はとても幸せな気持ちになりました。
”ぼく”は怒られてばかりだけど、本当は怒られることじゃないようなことでも怒られてしまっていると思います。
例えば、カマキリを教室に持っていったり、給食をいっぱいよそったり、捨てられていたネコを家へ連れて帰ったりして怒られたことです。”ぼく”はみんなにカマキリを見せてあげようとしただけです。おいしそうな給食をいっぱい食べてもらおうとしただけです。ネコがかわいそうでなんとかしてあげたかっただけです。ぜんぶ”ぼく”の優しさから出た行動だと思います。
それなのになぜか怒られてしまいます。
これが”ぼく”じゃなくて他の子でも怒られたのか疑問に思います。カマキリを持ていたのが優等生だったり、ネコを連れて帰ったのが妹だったりしても、同じように怒られたのかなあと思いました。
どうしてかというと、ぼくの学校でも女子はあんまり怒られないような気がするからです。
それにぼくが忘れ物をすると怒られるけど、他の子が忘れ物をしても「また明日持っておいで」くらいで終わります。なんで違うんだろう。忘れ物をしたのは同じなのに。たしかにぼくの方がよく忘れ物をするけど、それでそんなに怒られ方が違うと、ちょっともやもやします。
家でもそうです。ぼくがお茶をこぼすとお母さんに怒られるけど、お母さんがこぼしても誰からも怒られません。なんでだろう。ぼくだってわざとこぼしたんじゃないのに。そういう時、ぼくはいつも自分だけすごく損した気持ちになります。
”ぼく”は自分が「わるいこ」なんだろうかと悩んでいました。
すごくかわいそうです。それにぜんぜんわるいこじゃないと思います。だってやさしいし、怒られても我慢しているからです。ぼくは怒られると口答えしてしまって、余計に怒られます。じゃあぼくはわるいこなのかなあ。いや、ぼくは自分がわるいこだとは思いません。ちょっとそそっかしくて気が強いだけです。
七夕の短冊に「おこだでませんように」と書いたことで、先生に”ぼく”の気持ちがわかってもらえてよかったです。
しかもお母さんにも電話してくれて、お母さんからも抱きしめてもらえて、ぼくもうれしくなりました。ちゃんとわかってくれる先生やお母さんでよかったです。だってもしかしたら「怒られるのはあんたが悪いからでしょ」って言われるかもしれません。そんなふうに思うのはやっぱりぼくがわるいこだからなのかな。
でも、ぼくのお母さんも先生も、怒るけど同じくらい笑ってもくれるから、やっぱりぼくはわるいこじゃないと思います。怒られるけど、先生もお母さんもわりと好きです。
「ぼくは、いつでもおこられる。家でも学校でも…。休み時間に、友だちがなかまはずれにするからなぐったら、先生にしかられた」いつも誤解されて損ばかりしている少年が、七夕さまの短冊に書いた願いごとは…?
引用元:小学館(アマゾン)
絵本「おこだでませんように」が伝えたいこと
- 子どもの行動には理由がある まず子供の声をきこう
- 子どもの存在そのものを認め、信じよう
- 大人に必要なゆとりと子どもに謝れる誠実さ
子どもの行動には理由がある まず子供の声をきこう
子どもは時に衝動的で、何も考えずに行動していると思われがちです。しかし、大人からしてみれば意味の分からない、非常識な行動だとしても、子どもには子どもなりの理由があるのです。
でも、子どもはその理由をうまく説明するだけの話力がないことも多いです。そして、怒られたくてその行動をとることもおそらくありません。
はなから否定せず、まずは子どもをよく見て、じっくり考えを聞いてみましょう。
子どもの存在そのものを認め、信じよう
前述の内容と少しかぶるところもありますが、子どもの言動を認め、信じてあげることが大切です。
主人公の”ぼく”は「きっとあしたもおこられるやろ」「ぼくはわるいこなんやろか」と自分に自信を無くし、不安も覚えています。否定され続けていると、子どもはどんどん心を閉ざしていきます。”ぼく”のように黙って怒られ続けるようになってしまいます。
こうなると子供の心には諦めと絶望に近い感情が生まれてしまいます。
何か一つ好ましくない行動があり、それを注意したとしても、それはその言動のみを注意したのであって、その子どもの存在全てを否定したのではないことを同時に伝えていけるといいですね。
大人に必要なゆとりと子どもに謝れる誠実さ
親も学校の先生も、毎日忙しく、いろんなストレスを抱えて生きています。やらなくてはならないことや守らなければならないことに縛られ、心身ともに余裕のない状態であることが多いです。
そうなると、子どもの問題は目立つところだけをつみ取って、その場をすぐにおさめたくなります。子どもの話をじっくり聞くのは、時間もかかるし忍耐がいります。
”ぼく”のお母さんも毎日仕事と家事で忙しく、きっと日々精一杯だったことでしょう。”ぼく”のことは大切だけど、”ぼく”の気持ちをくみ取るまでの余裕はありませんでした。
また、”ぼく”のお母さんや先生が「いつもおこってばかりでごめんね」と」すぐに謝れたのは素晴らしいですね。ここで「あなたも悪かったのよ」なんて余計なことは言わずに、全面的に謝ることが大切です。
これが案外難しく、相手が子どもであると余計に、自分の非を認め謝ることのハードルが上がります。だとしても、相手が子どもだからこそ、悪かったら謝るということを行動で示すことが大切です。
忙しい日々ですが、大人に必要なのは心のゆとり。
そんなのどうやって持てるんだ、という話ですが、このお話だったら、例えば”ぼく”の書いた七夕の短冊を見返したり、家族写真を眺めるところから始めてみてはどうでしょう。その3秒間は少し温かい気持ちになるのではないでしょうか。
「おこだでませんように」の意味と七夕に寄せた願い
- 「おこだでませんように」の意味
- ”ぼく”が七夕の短冊に込めた願い
「おこだでませんように」の意味
これは主人公の”ぼく”が七夕の短冊に書いた願い事です。
本来なら「おこられませんように」と書くところです。「おこだでませんように」では、”ら”が”だ”に、”れ”が”で”に変わり、”ま”は鏡文字になっています。
ぼくが”だ””で”と書いたということは、ぼくの耳にはそう聞こえているということです。
これは子どもによくあることです。また、少し舌足らずの子どもが「おこられませんように」と言っても「おこだでませんように」となりますね。
たいていは日々の会話を通したり、様々な文章に触れることで”だ”ではなく”ら”なんだと修正されていきます。
また、鏡文字も小学1年生くらいのひらがなを覚えたての子どもにはよくあります。
わたしの子ども教室(学習塾)でも鏡文字を書くお子さんは多くいます。すぐ横に見本のひらがながあっても、なぜか鏡文字になってしまうのです。
これはおそらく、目で見た情報を頭で理解し、鉛筆を動かすという一連の作業がうまく連動していないのでしょうね。くるっと回して書くことは分かっても、手をどちらに動かせばどう書けるのかがまだ身についていない状態です。
そんなお子さんも、すぐに正しく書けるようになります。子どもにとってひらがなを覚えるためのひとつの通過儀礼ともいえます。
”ぼく”が七夕の短冊に込めた願い
この本では七夕の短冊に主人公の”ぼく”が願い事を書く場面がとても重要です。
最後に七夕様に”ぼく”がお礼を言っていることからも”七夕”という行事が”ぼく”に幸せな気持ちをもたらしたことは確かです。
そんなことからも、図書館で季節の催し物を行う時、七夕の季節にはこの本が必ず紹介されます。
そして注目すべきことは、”ぼく”は先生やお母さんに自分の気持ちを言うのではなく、七夕の短冊に願いをかけたことです。”ぼく”は大人には言えなかったのです。聞いてくれないから。また怒られるだけだから。大人が”ぼく”を見放したのではなく、”ぼく”が大人をあきらめたのです。
”ぼく”が抱えていたであろう様々な感情をどんな言葉にしたらいいのか、短冊に書くときにどれほど悩んだことでしょう。本当は言いたいことは山ほどあったはずです。
そんな”ぼく”の気持ちがきちんと大人に届いたことで、”七夕”という行事がもたらす穏やかな幸せがクローズアップされますね。
”ぼく”は発達障害なのか?
- 作者はそのようには想定していない
- 実体験から思うこと
作者はそのようには想定していない
このお話の主人公の”ぼく”は発達障害なのではないか、という意見もよく目にします。結論から言えば作者のくすのきしげのりさんは”ぼく”が発達障害だとは想定していません。
ただ、「おこだでませんように」という短冊の文字(鏡文字だったりすること)や、衝動的なところ、感情的なところ、周りのことを考えずに目の前のことだけに興味をひかれてしまう所など、発達障害の特性に近いものを持っているかもしれません。
でも一方で、こういう子どもは昔からよくいるのです。
ガキ大将だったり、少し変わっている子と言われたり、何をしても怒られてしまう子どもは、一定数います。果たしてそういう子どもたちを発達障害だとくくってしまっていいものか、とは思います。
実体験から思うこと
わが家の三男は境界知能の持ち主で、発達障害グレーゾーンです。
2歳頃に「特定不能の広汎性発達障害」であるという診断を受けています。以来ずっと児童精神科のお世話になっています。
三男は自分の考えを言葉にすることがとても苦手です。何でも「めんどくさい」ですませてしまいます。おそらく彼の中で、もやもやとした気持ちもあるはずですが、それを表現することができないでいます。
自分を守りいたい気持ちが強く、ばかにされると感情的に怒ることもあります。そして、少しのことでもほめるととても嬉しそうにして「もっとほめて」と言います。主人公の”ぼく”と同じです。成功体験が少なくなりがちな三男や”ぼく”のような子どもには、ほめ言葉のシャワーをいっぱい浴びせてあげる必要がありそうです。
また、わたしのやっている教室にも、”ぼく”にそっくりな生徒さんがいます。
彼はすぐに人のものを触ったり、邪魔したりして、周りの人を困らせます。他の生徒さんとトラブルになったり、教室のご近所にご迷惑をおかけしたこともありました。
ただその生徒さんは算数がよくできました。なので、算数の勉強に対してだけは毎回ほめちぎるようにしました。周りのみんなに聞こえるくらいの大声で。そのうちその生徒さんのお母さんから「国語もやってみたいと言っているので、お願いします。」と嬉しいお知らせを頂きました。聞けば、「ここ(私の教室)だとほめてもらえるから。」と言っていたそうです。
わたしはむやみやたらにほめることに賛成派ではありません。薄っぺらい「すごいね~」は子どもも多分お見通しだと思います。でも、ほめられて嫌だと思うこともないでしょう。わが家の三男や”ぼく”のような子どもにはやっぱりほめ言葉のシャワーを浴びせて、自己肯定感を上げてあげることが大切だと思います。そうすることで、その子自身や周りの人々の心のサイクルがいい方向に回っていくと思います。
絵本『おこだでませんように』読書感想文とあらすじのまとめ
今回も400字詰め原稿用紙3枚分です。(1200字)
”ぼく”が唇をぎゅっとかみしめて何かを我慢している顔と「おこだでませんように」というタイトルがとても印象的な表紙の本です。
元気な子どもにはもちろん、子育て中のお母さんにも刺さるお話ですね。
大人の社会では、効率的に行動すること、秩序を乱さないこと、普通であること、日々のサイクルをうまく回すこと、などが重要視されます。もめごとやはみ出すことはタブー視されがちです。
そしてそれを子どもにも求めてしまいます。みんなと同じように普通でいることやおりこうさんでいることを子どもに求めるのです。
これはある意味しかたない面もあります。家庭では母親は1日の流れを全て見通し、段取りを考えて動きます。
やることと時間に追われるので、イレギュラーなことはやはり避けたいのです。学校でも、たくさんの生徒たちに勉強を教え、行事の練習をし、先生は大忙しです。大人には気持ちの余裕を持てる時間が少ないのです。なので、どうしても効率を求め、目につく行動をつみとるだけになりがちです。
大人だって余裕を持ちたいし、おおらかに子どもと接したいと思っているはずです。大切な子どもを怒りたくはないのです。でも現実は理想通りにはいかないのです。
また、大人が「この子は手がかかって困る」と感じている子どもは、もしかしたらその子ども本人はもっと困っているかもしれないことを頭においたほうがいいかもしれません。主人公の”ぼく”が「わるいこかもしれない」と悩んでいるように、大きな悩みを抱えているかもしれません。
そして絵本だけあって、やはり絵が教えてくれる情報や感情はたくさんあります。
ぐっと涙をこらえて我慢している”ぼく”の顔、「あしたもおこられるやろ」と思いながら帰る夕暮れの道、お母さんとぼくと妹の3人で写る家族写真、玄関のカタツムリやバッタ、かじってある鉛筆、欠けた消しゴム、・・・。一つ一つを考えると、ぼくやお母さんの気持ちがしみじみと伝わってきます。
ぜひ親子でゆっくりと読んでいただきたいお話です。
↓こちらは読書感想文と詩の一覧表です。
↓ここから下は夏休みの読書感想文です
↓こちらは夏休みの詩の宿題です
出典 文部科学省 これからの時代に求められる国語力について