発達に心配な面のあるお子さんをお持ちだと、幼い頃から病院を受診したり、療育に通ったりしますよね。
なんとかわが子を伸ばしたい、という気持ちから、時にはわらをもすがる思いで病院や療育に足を運ぶわけです。
わたし自身もごたぶんにもれず、児童精神科の受診、週2回・2時間ほどの療育、隔週の言語訓練など、忙しく通っていました。
その効果に疑問を感じながらも、それをやめてしまうのもこわくて、その当時はメンタル的に厳しかったです。
そんな中、泊まり込みの合宿形式で療育を行っている施設を知り、何か一つでも収穫があればと考えて参加した時のお話です。
家事をすることなく、他のお母さんとグチを言い合える、貴重な機会でした。
こんにちは。つつじ屋です。
地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしています。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 中学生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
- 泊まり込み療育合宿とは?
子供の発達に関わる診療をしている大きな病院を中心とした、いろんな施設がある場所 - 合宿場所は「陸の孤島」
4泊5日のコースを申し込みしました。原則的には外に出られません。 - 児童精神科の病院も受診できる
専門性の高い病院を受診できることは、大変ありがたいことでした。
泊まり込み療育合宿!
2歳半頃、病院やら療育やら言語訓練やら、あれこれと通っていた時、泊まり込みで行う療育合宿があることを知りました。
そこは、子供の発達に関わる診療をしている大きな病院を中心とした、いろんな施設があるところでした。
そこを知ったのは、確か通っていた療育施設に張り紙がしてあって、簡単なパンフレットがおいてあったことからです。普段はそういった張り紙など気に留めないのですが、グレーな我が子と私に何か救いがないのかと悩んでいた時だけに、とても興味をそそられました。
泊まり込み療育合宿って何かしら?
そして早速その施設に連絡を取り、申し込みをしました。
当時、合宿のパターンは3通りありました。一つは私が参加した4泊5日のコース。もう一つは2泊3日の短縮バージョン(病院受診はありません)。もう一つはお父さんと子どもでの参加コース。いろんな病院の先生の見方を知りたかった私は、迷わず4泊5日のコースにしました。
その施設は町の中心部からは少し離れた場所にあります。わが家からは車で2時間くらい。送られてきたパンフレットを見てみると、結構驚きの内容が・・・。
一度そこへ入ったら、原則的に外出はできません・・・。
当然ちょっとコンビニに…っていうのもダメです。
宿泊する部屋には、お風呂もトイレもテレビも冷蔵庫もありません!お風呂は共同で順番に、洗濯機も共同、冷蔵庫は食堂にあるもので、名前を書いて入れます。
あ~、これじゃ何処にも
逃げれない…(私)
当時は今のようにインターネットが一般的だったわけではありません。
スマホもないし、YouTubeもありません。
そしてテレビもない・・・。なかなか経験することのないシチュエーションです。
パンフレットを眺めながら、大丈夫か?私・・・。何して過ごすんだろう…。暇な時間って、他のお母さんとおしゃべりしないといけないのかなあ・・・。と、コミュ障な私は若干不安になっていました。
とはいえ、行くと決めたら行くしかない!出発前、家に残る長男と次男の分の着替えや必要なものなどを紙に書きだしたり、準備できるものは準備しておきます。
自分たちの荷物も相当な量です。
三男は好きだった絵本とお気に入りのおもちゃ(戦隊ものの武器だったかなー。)を持って。
お菓子もいっぱい。チョコレート必須。
私は本や雑誌を何冊か。車に全部詰め込んで、行ってきまーす!
合宿場所は「陸の孤島」
行ったのは真冬。
その施設は少し小高い場所にあり、日陰には雪が残っていました。大袈裟に言えば、陸の孤島にきたイメージです。
「うわー。ホントに何もないところだなー。」しばらく外界には出られないという謎の覚悟を感じながら到着。
施設の職員さんが待っていてくださって、荷物を運ぶのを手伝ってくれました。
建物はパンフレットなどで見てはいましたが、なかなか年季が入ったもの。
長年たくさんの親子がお世話になったのですね。
あぁ、「テレビも無い、電話もない、車もそれ程走ってねぇ」
これじゃ吉幾三だわ(古い)
部屋は6畳くらいの和室で、テーブル以外何もありません。
シンプル。
個室が8部屋位あったでしょうか。あとは食堂、風呂、トイレ、娯楽室、です。
娯楽室は好きな時間につかえて、おもちゃがたくさん置いてありました。お昼ご飯や夕ご飯の後は娯楽室で過ごすことも多かったです。当然ほかの親子もいるので、おもちゃの取り合いを止めながら、お母さん達とのコミュニケーションをとりながら、の時間です。やはりコミュ障炸裂!笑顔で会話しながらも、勝手に気疲れしている。…情けない。
日程は、午前と午後のそれぞれ2時間ずつくらい、子供たちは子供たちだけで、その建物からまた少し離れたところにある建物まで歩いて行って、そこでなにやら活動をします。
母親たちはその時間、食堂に集まって勉強会(座談会)です。
今困っていることや悩んでいることを打ち明けあったり、こんな時はこうしてみたよ、とアイデアをもらったり。
市の福祉課の職員さんみたいな方が来て、お話をしてくれたような気も・・・。
私と同じで、みんな困っているんだわ。。。
子供たちが戻ってくる時間の少し前で切り上げ、玄関で子供たちを迎えます。
そうすると、子供たちが嬉しそうに走ってきます。
この時のかわいいこと!子供と離れる事、お母さんと離れることなど、ほとんどない親子ばかりです。
ほんの2時間でも離れてみると、「あ、うちの子かわいいじゃん。」って思えるんです。
子供たちが帰ってくると、担当の職員さんからその日にやったこと、子供の様子、食べたおやつなど、いろいろ教えてくれます。
「こうしたらもっといいかもしれませんよ。」みたいなアドバイスももらえます。
ダメなことは強くダメとつたえましょう(職員さんより)
ある時、昼寝から起きた三男は機嫌がとても悪く、次の予定に進むことができないでいました。怒って私の頭をバシバシ叩いてきます。
それを見ていた職員さんが三男を強く𠮟りました。私はやめてよ~と言いながらも、怒ってはいけないと我慢していたわけです。
「言っても分からないことはありません。ダメなことは強くダメだとつたえましょう。」
とおっしゃっていました。いろんな考え方があると思いますが、たまにこうやって叱られるのも三男にとって貴重な体験だったと思います。そのあと、何とか活動に参加できていました。
児童精神科の病院も受診できます
もう一つの特徴として、病院を受診できることがあります。
専門性の高い病院を受診できることは、私にとってはありがたいことでした。
事前のアンケートや当日の子供の様子などもみながら、しっかり時間を取って診察してくださいました。
その時の先生の話では、「すごく突出した特徴があるわけではないけれど、いろんな特徴を持ち合わせていますね。
成長していくにつれて状況は変わるかもしれませんが、今のお子さんの様子からすれば、『特定不能の広汎性発達障害』にあてはまるとおもわれます。」ということでした。
特定不能の広汎性発達障害 ???
それって、なぞ過ぎる…。
診断名を言われたのは初めてでした。
診断が下りたからと言って、何か変わるわけでもありません。悲しいとか残念とか、そんなことはない、とかいう感情はありませんでした。
ただ何となく、「あー、やっぱりそうなんだな。」と腑に落ちた感じでしょうか。
”広汎性発達障害” 自体、境界がはっきりしないグレーなものだと思うのですが、”特定不能” なので余計にグレーですね。
三男は4泊5日の間、元気に楽しく過ごしていました。
そして、この時初めてトイレでおしっこすることができました!毎回成功とまではいきませんでしたが、かなりの確率で成功することができていました。家ではまーったく無理だったのに・・・・。
今日は、
おしっこできたよー!
(2歳6ヶ月)
やっと、1人で出来たよ。
はぁ、、、。
当然、大きい方(うんち)は出来ないので、ずっとオムツです。
今ではその施設の名称も変わり、建物も設備も新しくなったようです。
より快適な環境の中で、たくさんの親子が充実した楽しい時間を過ごされるといいなあと思います。
そういえば、子どもたちが行っていた施設は確か
ドラえもんハウスとか言っていたかなぁ!
生まれてから~保育園までのできごと
↓こちらの記事は、生まれて間もないころのお話です。
グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
保育園時代に気になっていたことの記事を書いてみました。よろしければお読み下さい。
【発達障害】グレーゾーンの子供のひどいいびきは、アデノイドによる睡眠時無呼吸症かも?治療で劇的改善!発達にも影響!?治療費は?
小学生時代
こちらは小学1年生、小学校でおもらしばかりしていた頃のお話です
小学1年生、勉強やおもらし、のどの手術(アデノイド除去)について書いてます
小学4年、普通級の子どもさんと上手くコミュニケーションが取れなかったお話です。
中学生時代
↓療育手帳の取得を申請しても、交付を受けることが叶わなかった時のお話
↓高校(専修学校)入学までの紆余曲折についてお話
↓義務教育の終わりが見えはじめ、将来について考えてたころのお話
↓三男の中学生時代について書いています。(現在、高校生です)
進路と将来
↓中学生になって支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事
↓体調の悪さを誰にも伝えられない不安について考えた記事
↓高校(専修学校)入学までの紆余曲折
↓こちらは日本政策金融公庫で借りた学費のお話です↓
高校生時代
↓こちらは高校(専修学校)へ入学してから初めての中間テストの結果です。
↓こちらは”専修学校各種学校連合会”についての記事です
出典:文部科学省公式サイトより