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読書感想文『いつかの約束1945』あらすじと伝えたいこと

いつかの約束1945サムネイル
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今回の記事を簡単にお話します

今回のお話はいつかの約束1945。あらすじや読書感想文の例文、この本で伝えたいことなどをご紹介しています。

2024年夏の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書で、小学校中学年(3~4年生)が対象になっています。

ゴムなわとびをする女の子たち
おばあちゃんじゃあ ありません9才です。

「あたしは9才!」と主張するすずはどう見てもおばあちゃんです。
でも、おおらかで天真爛漫なすずと一緒にいるうちに、みくもゆきなも本当に9才の女の子といるような気持ちになっていきます。すずはとてもキュートなおばあちゃんですね。

また、マイルドではありますが、戦争のことについても書かれています。
すずが経験したであろうつらい生活も少しわかります。戦争は外国で起きること、と思っている子どもは多いでしょう。自国で、しかもわりと最近あったことを知らない子どもも多いでしょう。まして経験した人の声はもう届かなくなってきています。こうした本が考えるきっかけを与えてくれますね。

うちの三男、グレーゾーンボーイです。

私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。

家族:だんな 定年間近の会社員
  長男 大学生 勉強が大好き
  次男 大学生 自由が大好き
  三男 高校生 ウルトラマン大好き

三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。

このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。

読書感想文のイラスト
「読書感想文」の宿題はうちの三男ぼうずにはむりでした。。。
読書感想文を書く女の子
いつも私(母親)が書いていた読書感想文。
この読書感想文の例文を活用して、文章を「書く価値がある」の?

夏休みといえば頭が痛くなるのが「読書感想文の宿題」ですよね。

親が代筆してまで子どもの読書感想文を手伝う。などは私のグレーゾーンボーイの三男にも行っていました。

じゃあなんで読書感想文なんて書かなければいけないのでしょう。
まぁズバリ言ってしまえば「宿題」だからです。なので難しいことは抜きにして提出しなければならないものはさっさと提出できるように、この読書感想文の例文を活用して下さいね!

また小学生の子どもを持つ親御さんにとって、このブログの読書感想文を使って「書く価値がある」のかもいくつか考えてみました。

1. 子どもたちの参考となる、具体的な読書感想文

この読書感想文により、どのように文章を構成し、どのような内容を盛り込むべきかが明確になるため、子どもが読書感想文を書く際のサポート役として活用することができます。

2.子どもとママのストレス軽減

夏休みの宿題は子どもや親にとって大きなプレッシャーになることがあります。
特に読書感想文は、文章を書くのが苦手な子どもにとっては大きな負担です。子育て世代のママたちは子どものストレスを軽減し、楽しい夏休みを過ごさせたいという気持ちも強いですよね。

3. 忙しいママと子どもの時間を節約

忙しいママや子ども(子どもは暇かな?)にとって、読書感想文の書き方やアイデアを一から考えるのは大変です。
このブログに掲載された読書感想文を参考にすることで、時間を節約し、効率的に宿題を進めることができますよ。皆さんも時間を節約するために、このブログに訪れるかたも多いのではないでしょうか!

 この読書感想文のブログ記事を掲載することで、多くのパパ・ママの手助けができ、子どもたちの学びがより充実したものになると考えています。
私の読書感想文が多くのパパ・ママにとって貴重な情報源となることを願っています。

感謝のイラスト
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目次

『いつかの約束1945』のあらすじ

本としおり
この本のあらすじって・・・?

9才のみくゆきなはある夏の日、しゃがみこんで泣いているおばあちゃんを見かけます。
ふたりは心配して声をかけますが、そのおばあちゃんは「おばあちゃんじゃないもん!あたしは関根すず。9才!」と答えてふたりを驚かせます。そしてふたりは子どもとぶつかって心が入れ替わってしまったのでは、と考えます。

そこから元の体(子どものすず)を探し回ります。図書館、駅、スーパー、学校、七ツ木池、心当たりを探しますが、それらしい子どもの姿はありません。

すずは行く先々でいろんなものに驚きます。スーパーに並ぶたくさんの商品、自動販売機、車、アスファルトの道路、冷蔵庫。珍しそうに「あれは何?」とみくとゆきなに質問します。

七ツ木池で戦争の話になった時、すずは急に苦しみ出します。痛がるすずの腕を見ると、ひどい傷がありました。古いやけどの痕です。

戦時中の男子学生
戦争はどうなったの…。

休憩するため、3人はみくの家に行きます。
ベランダから見える町の様子にすずは言葉を失います。そして、「戦争はどうなったの?誰が町をこんなにきれいにしたの?」とみくとゆきなに尋ねます。するとゆきなが「いろんな人だよ!」と答えます。そしてすずは「あたし、いろんな人のひとりになる!」とふたりに約束します。

みくの家でうたたねしてしまった3人。
目をさますと、すずは9才のすずではなく、中身もおばあちゃんになっていました。動けないし、何も話しません。マンションの前で困っていると、中学生くらいのお姉さんが「ひいおばあちゃん!」と声をかけて近づいてきました。お姉さんはすずのことをずっと探していたのです。お姉さんは「お世話してくれてありがとう。」とふたりにお礼を言い、すずと一緒に帰っていきました。

次の日、みくとゆきなは図書館へ行きます。
そこでは戦争展をやっていて、手紙や絵が飾られていました。その絵の中に「後藤すず」の名札を見つけます。つらい経験を描いた絵の中に、1枚だけ光にあふれた絵がありました。それは、前日にみくの家のベランダから3人で見た景色そのものでした。絵の題名は「いつかの約束」です。おばあちゃんのすずは9才のすずと入れ替わっていたのでしょうか。

読書感想文『いつかの約束1945』例文

24年夏 青少年読書感想文全国コンクール課題図書

↓岩崎書店(アマゾンヘ)↓

いつかの約束

このお話は、見た目はおばあちゃんだけど「あたしは9才だ」というすずと、すずがだれかといれかわったと思い、そのいれかわった子どもを探すみくとゆきなの3人の少しふしぎなストーリーです。
最後まで読むと、すずは子どものころのすずといれかわっていたんだと思えます。周りの大人はすずは認知症だから、というけれど、そうではありません。すず、みく、ゆきなの3人にしか分からない夏の大切な思い出です。

すずはいろんなものを知りません。
スーパー、自動販売機、アスファルトの道路、車、わたしたちが今あって当たり前だと思っているものが、すずにとってはすべて初めて見るものでした。すずが9才だったころは何もなかったのです。

一人の人の一生分の時間の中で、ここまでいろんなものが開発されたり生み出されていくことに少しおどろきます。すずは何もない時代も生きているし、あらゆるものがある現在も生きています。

すずが生きてきた中での変化のスピードは、とても速かったと思います。
今でもパソコンやスマホの性能はどんどん進化しています。でも、すずが経験したような、焼け野原に高層ビルが建つというような、誰にでもわかる変化とはわけがちがう気がします。

今わたしたちがあって当たり前だと思っているものは、すべてだれかが作ってくれたものです。
でもわたしたちはそう考えることはあまりありません。生まれた時からすべてそろっていたから、ないことが考えられません。

9才だったすずがつらい思いをしたように、昔の人たちがたくさんがまんをして、努力をして作り上げてきたのが今わたしたちがくらしている世界です。
きれいな町で便利なものに囲まれておだやかに生活できるのは、たくさんの人のおかげなのです。そのことにもっと感謝しなければいけないと思いました。

すずが9才の時は戦争中だったようです。
すずは空襲で大やけどを負ったようです。そしてすずは飛行機からは爆弾が落ちてくると思っています。そのおびえた様子やすずの体のやけどの痕からも、どれほど怖かったのかが想像できます。食べるものもほとんどなくて、つらい毎日だったと思います。

すずも大やけどを負ったように、空襲ではたくさんの人が死んでしまったそうです。
自分の命さえも危ない毎日が続くのが戦争です。友だちと遊ぶこともなかったかもしれません。家族そろってご飯を食べることもできなかったかもしれません。食べ物やいろんなものがないのもいやだけど、友達や家族といっしょにいる時間がなくなるのはさみしいです。

わたしは戦争のことはまったく知りません。
家族と話をしたこともありません。ニュースで外国の戦争のことを見かけるくらいで、自分とはまったく関係ないことだと思っていました。でも、すずにとっては自分が体験した現実のことで、この国でほんの少し前にあったことなのです。この本を読まなければ考えもしないことでした。

すずはみくとゆきなに「あたし いろんな人のひとりになる」と約束しました。
平和できれいな町にくらせるように、自分にできることを考えていたようです。すずが子どもだったころなんて生きていくだけでも大変だっただろうに、そんな前向きさやがんばる気持ちを持っていられる強さはどこからくるのでしょうか。

でも、その時代の人はみんなそんな強さを持っていたのかもしれません。わたしにできることって何かあるのか、すずを思い出して考えていきたいです。

いつかの約束1945』山本 悦子 (作) 平澤 朋子 (絵) 岩崎書店より

大切なこと チャットGPT編

「読書感想文」を書くためには、まずは本(本物:現物・電子書籍)を一度は読んだ方がよいですね。

皆さんにこの「読書感想文」の記事を参考にして頂けることは、大変ありがたいと思っています。

しかし、本(本物)を読まずに、この読書感想文の記事(ある意味贋作:偽物)だけをたよりに文章を書けば、皆さんの書く読書感想文の内容がチグハグになってしまうからです。

実際に皆さんもたくさんの読書感想文のブログ記事を見ながら、読書感想文を書こうと思っているのではないでしょうか。

そして危険なのが、グ-グルのランキング(5位以内)に入るような読書感想文の記事でも、ウソが書いてあることです。

まあ、実際に本を読めばその読書感想文の記事が間違っているのが分かるのですが、もう書いてあることがデタラメです。

ひどい記事になると作者や主人公の名前自体が違ってますし、主人公がとった行動も違います。また架空の人物を作って物語に出演させたりもしています。

学校の先生に見せたら「何の本を読んだの?」と言われちゃいそうです。

チャットGPTを使って、適当に記事を量産しているのがうかがえますね。

ですから図書館で借りればOKですので、必ず本(本物)に触れて、読んでから読書感想文を書くことが大切です。

本をかる~く読んでから、チャットGPTを使い読書感想文を書いてみましょう。

そうすればAI風の?最強の読書感想文が出来上がります。新しい道具も上手に使っていきましょう!(このサイトの読書感想文はチャットGPTは使用していませんが、チャットGPTの学習には利用されていました…。微妙)

もちろん自分の頭で考えるのが、無敵なのは言うまでもありません!!

スマホばかりを見ている少年
本を読むのがイヤだからこのサイト見てるんだけど…。

『いつかの約束1945』が伝えたいこと

  • 当たり前のことは本当は当たり前ではない
  • 戦争の厳しさ
  • 見た目でなく人を受け入れられる子どもの柔軟さ
図書館でお勉強
作者が伝えたいことって・・・。

当たり前のことは本当は当たり前ではない

食事中にスマホを使う子ども
子どもさんには生まれた時からスマホがありますね

今私たちの周りはあらゆるものであふれています。なくても困らないのではないかと思うくらいの商品やサービスもあります。

技術の進歩もすさまじいですね。子どもにとってはスマホは生まれた時からあるものですが、おばさんの私にとってはつい最近誕生したものです。スマホができたのも、たくさんの人の頭脳と努力があってのことです。

それはキャベツでも同じ。
蛇口から出る水でも同じです。畑でキャベツを育てる人、運ぶ人、お店の人。たくさんの人が関わっています。水道水も、ダムを作る人、水道管を作る人、蛇口を作る人、水をきれいにしてくれる人、膨大な人が関わっているわけです。すべての人がすずの言う「いろんな人のひとり」です。

私たちが手に取る物や受けることのできるサービスは、必ず誰かが作り出してくれているものです。いろんな人が自分の知恵と体力と時間を使って作り出してくれているのです。

日々の中でそのことに思いをはせることはなかなかありません。
まして、何もなかった戦争中のことを思うことはまずありません。特に子どもに「当り前じゃないんだよ」と諭したところで実感はわかないでしょう。そんな時、この本から感じたことは子どもの心に少しのきっかけを作ることはできそうです。

戦争の厳しさ

戦争中の女子学生
9才だともうちょっと小さいですね

この本では戦争についてこと細かくふれているわけではありません。
すずの経験談やお母さんの話、戦争展で飾られている絵や手紙から当時を垣間見るくらいかと思います。それでも、みくがお母さんの話を聞いて胸が苦しくなったように、この本を読んだ子どもにもその時代のつらさは伝わるでしょう。

配給のわずかなお米や野菜しか食べるものはなく、いつ空襲に襲われるかも分からない、命の危機にさらされている毎日です。そして戦地へ行ってしまう父親、青年。

物がないこと、家族がそろわないこと、そして家族を失ってしまうことさえが”日常”で”当たり前”だった戦時中です。人々がそこに疑いを持たないことが戦争の恐ろしさですね。

見た目でなく人を受け入れられる子どもの柔軟さ

町を徘徊するおばあちゃん
見た目はおばあちゃんでも中身は9才!

多くの大人にとって、すずの言動は”認知症”を疑うものでしょう。
みくとゆきなも初めはそう思いますが、「あたしは9才!」というすずと話しているうちに、”誰かと入れ替わったんだ”と思うようになります。つまり、認知症ではなく、中身は本当に9才の女の子なんだと信じるわけです。

もし認知症で片づけてしまっていたら、最後の「後藤すず」の描いた「いつかの約束」という絵にはたどり着けなかったでしょう。
その絵に込められたすずの思いに気づけたのはみくとゆきなのふたりだけです。公民館の館長さんも「その絵かわってるでしょ。」という認識です。大人には変わっているとしか映らないのです。絵も、すずの言動も。

大人は変わっているものを区別して、自分から離したいと考えます。おかしな言動には”認知症”という名前を付け、自分とは違うと考えるわけです。でも、子どもには認知症でもなんでもよくて、すずはただ9才のすずだったのです。

大人の判断は間違っていないことが多いでしょう。それでも、子どもが相手を柔軟に受け入れるところは純粋でまぶしくもあります。それによって救われる人もいるのではないでしょうか。

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今回も400字詰め原稿用紙3枚分です。(1200字)

『いつかの約束1945」読書感想文とあらすじのまとめ

鬼ごっこで遊ぶ子ども
遊ぶ、みくちゃんとゆきなちゃん

すずは結局子どもの時の自分自身と入れ替わっていたということでしょうか。
いろんなことが分からないことは認知症と言えなくもないですが、本当に入れ替わっていたとしたら、スーパーも車も知らなくて当然。すずが9才の時は何にもなかったのですから。何もない時代から物があふれる現在まで、すずの人生はまさしく激動です。

戦争についてもわりとソフトに書かれています。戦争を実際に経験し、それを伝えられる人も少なくなっています。
それでも経験した人にとっては人生の一部であり、遠い過去の話ではありません。現実にあったことに関心を持ち続けるためにも、こうした本の役割は大きいのではないでしょうか。

そして、戦後の焼け野原から現在の暮らしが整うまで、たくさんの人が努力に努力を重ね、働き続けてきました。
私たちの日々の暮らしにあって当たり前ということは本当はないのです。すべて誰かのおかげです。何かを買った時、サービスを受けた時、「ありがとう。」と言ってみませんか。ありがとうは「有り難う」とも書きます。「有り難い」のです。有ることが難しいのです。そう思うと「ありがとう。」の言葉のもつ感謝の気持ちも深まるような気がします。

9才のすずは活発でキュートな女の子のようです。
そしておそらくとても賢かった。戦争中で我慢を強いられていたすずには、みくゆきなの毎日はとてもまぶしかったことでしょう。でも、そんな暮らしを目指そうとするすずの前向きさも輝いています。
戦争のこと、認知症のこと、いろいろあるけれど、ただ3人の9才の女の子が楽しく遊んだ1日のお話しとも言えますね。

母親読書イラスト
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↓こちらは読書感想文と詩の一覧表です。

↓ここから下は夏休みの読書感想文です

↓こちらは夏休みの詩の宿題です

第2   国語力を身に付けるための読書活動の在り方

出典 文部科学省 これからの時代に求められる国語力について
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