今回のお話は『どんぐりと山猫』。宮沢賢治の作品です。あらすじや読書感想文の例文、この本で伝えたいことなどをご紹介しています。
宮沢賢治と言えば『注文の多い料理店』や『銀河鉄道の夜』なども有名ですね。
山猫から裁判を助けてほしいと頼まれた一郎。一郎は「この中で一番ばかなのがいちばんえらい。」という名言でどんぐりたちを黙らせてしまいます。
山猫はなかなか賢くしたたかです。別当にきつく当たっているあたり、まさにお山の大将っぽい。どんぐりの裁判をおさめられないようでは、お山の大将もつとまらなそうですが。
どんぐりたちは山猫よりも一郎にこれからの裁判をまかせたかったでしょうね。そんな空気を山猫も感じたのではないでしょうか。だから二度と一郎を呼ばなかった。山猫、あざといです。
うちの三男、グレーゾーンボーイです。
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
お子さんに本をたくさん読んでもらいたいと思っている親御さんに、絵本定期購読がおすすめです
この読書感想文の例文を活用して、文章を「書く価値がある」の?
夏休みといえば頭が痛くなるのが「読書感想文の宿題」ですよね。
親が代筆してまで子どもの読書感想文を手伝う。などは私のグレーゾーンボーイの三男にも行っていました。
じゃあなんで読書感想文なんて書かなければいけないのでしょう。
まぁズバリ言ってしまえば「宿題」だからです。なので難しいことは抜きにして提出しなければならないものはさっさと提出できるように、この読書感想文の例文を活用して下さいね!
また小学生の子どもを持つ親御さんにとって、このブログの読書感想文を使って「書く価値がある」のかもいくつか考えてみました。
1. 子どもたちの参考となる、具体的な読書感想文
この読書感想文により、どのように文章を構成し、どのような内容を盛り込むべきかが明確になるため、子どもが読書感想文を書く際のサポート役として活用することができます。
2.子どもとママのストレス軽減
夏休みの宿題は子どもや親にとって大きなプレッシャーになることがあります。
特に読書感想文は、文章を書くのが苦手な子どもにとっては大きな負担です。子育て世代のママたちは子どものストレスを軽減し、楽しい夏休みを過ごさせたいという気持ちも強いですよね。
3. 忙しいママと子どもの時間を節約
忙しいママや子ども(子どもは暇かな?)にとって、読書感想文の書き方やアイデアを一から考えるのは大変です。
このブログに掲載された読書感想文を参考にすることで、時間を節約し、効率的に宿題を進めることができますよ。皆さんも時間を節約するために、このブログに訪れるかたも多いのではないでしょうか!
この読書感想文のブログ記事を掲載することで、多くのパパ・ママの手助けができ、子どもたちの学びがより充実したものになると考えています。
私の読書感想文が多くのパパ・ママにとって貴重な情報源となることを願っています。
『どんぐりと山猫』のあらすじ
ある日、一郎のもとに山猫から1通のはがきが届きます。そこには裁判をするから来てくれ、と書かれてありました。
栗の木、笛吹の滝、白いきのこ、りすたちに山猫の居場所を尋ねながら進む一郎。そして気味の悪い別当にも出会います。別当は自分の字の上手さを気にしていました。
そして突然山猫が現れ、裁判が始まります。それは、どんぐりの中で誰が一番偉いかを決めるものでした。「大きいのが偉い。」「とがっているのが偉い。」と収拾がつきません。
すると一郎が「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい。」と言うように山猫に提案します。そして山猫がどんぐりたちにそのままを告げると、どんぐりたちは何も言えずに固まってしまいました。
山猫はとても喜び、一郎に次の裁判にも来てくれるように頼みます。お礼に金のどんぐりをもらった一郎ですが、気づいた時には茶色のどんぐりをもって自分の家の前に立っていました。
その後再び裁判に呼ばれることはありませんでしたが、一郎は少し残念に思っていました。
読書感想文『どんぐりと山猫』
↓金の星社さん(アマゾンヘ)↓
この本を読んでさいしょに思ったのは、どうして一郎が山ねこのさいばんによばれたのか、ということでした。
一郎は山ねこと会ったこともないのに、とつぜんとどいたはがきにおどろきもしないでよろこんでいました。山ねこに会えるからうれしいのか、さいばんによばれたからうれしいのかもよくわかりません。
山ねこもどうして一郎をよんだのかなと思いました。一郎はほかの子とくらべてあたまがよかったのかな。あたまがよかったとしても、どうして山ねこが知っていたのかな。
別当の男もなんだかとてもきみがわるいです。どうして山ねこのけらいなんてしているのかな、と思いました。もしかしたら山ねこによわみでもにぎられているのかもしれません。それにしても、山ねこってそんなにえらいのかなと思います。すごくえらそうにはしているけど、そんなにすごい力があるようには見えません。ただいばっている、いやなかんじがします。
さいばんはどんぐりたちの中でだれがいちばんえらいのかを決めるものでした。「まるいのがえらい。」と言ったり、「大きいのがえらい。」と言ったり、みんなじぶんがいちばんだと言います。丸いのも、とがったのも、大きいのも、小さいのも、みんなかわいくていいと思います。でもどんぐりたちはなっとくいかないみたいです。
いちばん大きいとかいちばんまるいとかいうことなら決めやすいけど、だれがいちばんえらいかなんて決められないと思います。どうしていちばんえらくなりたいのかな。だいたい、えらいってどういうことなんだろうと思います。みんなからだいじにされること?人にめいれいできること?たくさんのけらいをもつこと?
「きみがいちばんえらいどんぐりだ。」と言われたらなにかかわるのかな。決まったとたんにみんなにいろいろめいれいしたりするのかな。それってなにかおかしいと思います。
ふだんみちばたで見つけるどんぐりはいろんな形をしています。大きいのもあるし小さいのもあります。よくどんぐりをあつめたりしたけど、どれもかわいいと思います。まるいのがすきな人もいるし、とにかく大きいのがすきな人もいます。そういうことではだめなのかな。
一郎は「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい。」と言うように山ねこにていあんします。山ねこがそうやって言うと、どんぐりたちはなにも言えなくなってしまいました。しずまったからさいばんはおわります。
でも、こんなふうに言われたら、なにも言えなくなってとうぜんです。だれもじぶんがいちばんばかでめちゃくちゃだなんて思われたくはないからです。だから、さいばんはせいこうしてはいないと思います。どんぐりはだれもなっとくしていないと思ったからです。だれかが「おれがいちばんばかだから、おれがいちばんえらい。」と言い出したら、おれもおれもとつぎつぎに言いだして、またさいばんになってしまうと思います。
山ねこがえらいとは思わないけど、あたまはいいと思います。一郎の力をかりたり、めいれいしようとしたりして、じぶんがいちばん上に立とうとしているからです。お礼の金のどんぐりもけっきょくただのどんぐりで、一郎はちょっとだまされています。でも一郎はおひとよしなのか、また山ねこに会いたいみたいです。とうじょうじんぶつみんながえらいことにこだわっているけど、一郎だけはいちばんえらくなりたいとは思っていなかったみたいです。
大切なこと
「読書感想文」を書くためには、まずは本(本物:現物・電子書籍)を一度は読んだ方がよいですね。
皆さんにこの「読書感想文」の記事を参考にして頂けることは、大変ありがたいと思っています。
しかし、本(本物)を読まずに、この読書感想文の記事だけをたよりに文章を書けば、皆さんの書く読書感想文の内容がチグハグになってしまうからです。
図書館で借りればOKなので、必ず本(本物)に触れて、読んでから読書感想文を書くことが大切ですね。
『どんぐりと山猫』で伝えたいこと
”えらい” ことにこだわることは意味がない
どんぐりたちは一番偉いのは自分だと認めてもらいたくて、「大きいのが一番だ。」とか「丸いのが一番だ。」と言い合いをします。
そして、その裁判を取り仕切っている山猫も、誰よりも自分が一番偉いと思われたいのです。たばこを吸う場面では一郎を「若いから。」と少し下に見ています。この裁判の後で一郎に出すはがきには「出頭すべし、と書いてどうでしょう。」と全くお願いする文面ではない書き方を提案しています。あくまで自分の方が立場が上なのだと明確にしておきたいわけです。
また別当も頭がいいと思われたくて、一郎に字をほめてもらって喜びます。山猫には頭の上がらない別当ですが、それでも少しでも自分の能力は上だと、 ”えらい” 人だと思われたいのです。
しかし結局のところ、どんぐりはどんぐりであって、お互いに競い合ってもそれこそ ”どんぐりの背比べ” 。別当にしても、少し字が書けても ”えらい” とは言えません。 ”えらい” にこだわるのではなく、自分の持っている長所を存分に発揮すればいいのではないでしょうか。
”えらい” の定義は何か
そもそも何をもって ”えらい” というのでしょうか。どこかの国の王様なら偉いのか。家来をたくさん抱えていれば偉いのか。誰よりも頭が良ければ偉いのか。歳を取っていれば偉いのか。社長ならば偉いのか。どういう状態をもって ”えらい” と言うのでしょうか。
”えらい”=”優れている” とするならば、財力があったり頭がよかったり社会的権力を持つ人が ”えらい” となるのかもしれません。”えらい”=”力” とも言えるかもしれません。
でも ”えらい” は精神的に豊かであることも指します。いつも落ちているごみを拾う人は偉い。一人ぼっちのクラスメートを気にかけ、声をかけてあげる人も偉い。この場合の ”えらい” はいうなれば ”和” です。
”力” としてのえらいを求めると自分が一番になりたいと思いがちですが、”和” としてのえらいを求めることは、多くの人を幸せにします。
「このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらい。」という言葉の意味
一郎が提案したこの言葉を山猫から言い渡されたどんぐりたちは、しいんと固まってしまいます。
でもこれは公平な判決で無事に一件落着したわけではありません。どんぐりたちは納得してはいないのです。ただ何も言えなくなってしまっただけです。自分がばかでめちゃくちゃだなんて、そうそう言えません。「おれの方がばかだ。」という論争がまた起きるかもしれませんし、そんな論争もまったく不毛と言えるでしょう。
なのでこの言葉はどんぐりたちに諦めとやりきれなさを残し、彼らの活気あふれるやり取りを奪いました。
一方で、一郎はこの言葉をここまでで止めてしまっていますが、お説教で聞いたお話はその先もあったのではないでしょうか。この先のお話の展開としては、どうしてばかでめちゃくちゃな人が偉いのか、ということかと。「自分はばかでめちゃくちゃだと自覚できている時点で素晴らしい。それが分かっているからもっとよくなろうと努力できる。人から学ぼうとする気持ちが持てる。」そんな意味合いを隠し持った言葉ではないでしょうか。
↓いろんな本にふれる機会があるといいですね! ↓
今回も400字詰め原稿用紙3枚分です。(1200文字)
『どんぐりと山猫』読書感想文とあらすじのまとめ
間抜けそうだけれど結構あざとい山猫。
自分の立場を守りつつ、その場を切り抜けようとします。最後で一郎が金のどんぐりでなくて、塩鮭の頭を選んでいたらどうしたのでしょうか。山に塩鮭はないでしょう。遠い人里からとってくるのでしょうか。そんなピンチでも、山猫は自分の立場を守れたでしょうか。
それにしてもわちゃわちゃと言い合いを続けるどんぐりたちは可愛らしい。本当にどんぐりの背比べ。どうでもいいじゃん、と突っ込みたくなります。
もしかしたらこのお話は全部一郎の夢だったのでしょうか。そんな視点から感想を広げていっても面白いですね。
↓こちらは読書感想文の一覧表です。
↓ここから下は夏休みの読書感想文です
↓こちらは夏休みの詩の宿題です
出典 文部科学省 これからの時代に求められる国語力について