うちの三男は発達障害のグレーゾーンにいる子どもです。
今回は、生まれてから2歳ころに至るまでの”発達”や”幼児検診、1歳半検診”についてお話しをしたいと思います。
検診の結果ですが、残念ながら三男の発達の遅れや異常に改めて気づき、三男のグレーっぽさ(発達障害)を強く意識していくようになりました。
この記事を通じて、同じような状況にいる親御さんたちに少しでも役立つ情報や共感を提供できればいいな!と思っております。それでは、三男の成長と発達の記録を振り返りながら、私がどのように感じてきたのかをお話しします。
- 生まれはごく普通
- 発達の経過が遅い?9ヶ月を過ぎてもハイハイはしませんでした。
- 1歳6ヶ月健診で、言語の遅れを指摘されます。
- この頃から病院の受診や療育を受けたり、息子のグレーっぽさが始まりました。
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事(+ちょっと愚痴)などを通じて、少しでもグレーゾーンのお子さんを持つお父さん・お母さんのお役に立てるような記事が書ければと思っています。
発達障害グレーゾーンの子どもを育てる 生まれて間もないころ
- 産まれはごく普通です
- 親がいないのに不安を感じていないことに、違和感を感じ始めて
- 歩き始めるのは若干遅く、1歳3ヶ月頃
- 「やっぱり何か違うなあ。と思い始めたのは、歩き出したころから
産まれはごく普通です
2007年。39週目、2690グラム。とても安産で産まれました。
実は妊娠中に息苦しさを感じたことがあり、途中で産院を変わっています。
とはいえ変わった先で何か特別気を付けることなどは言われませんでした。上の2人と違っていたのはこの点だけ。この時の息苦しさと三男の発達に何か関係があるのかは全く分かりません。まあ、今となっては考えても仕方ないことなので、そんなこともあったなあというくらいの感じです。
肩から毛がいっぱい生えていて、「うわ~、これ、なくなってくれるかな~?」と心配したものです。(すぐになくなりました。)元気でとてもかわいい赤ちゃんでした。
特別夜泣きがひどいこともなく、まあ普通にすくすく育っていきました。
上の二人と違っていたことは、おしゃぶりが手放せなかったこと。
おしゃぶりをくわえていれば落ち着いていましたが、ないとなかなか騒々しい感じでした。
ほんの少し、ほんの少しですが、あれ?と感じたものです。と言ってもまだまだ生まれたばかりの赤ちゃん。まあそういう子もいるか、くらいに思っていました。
なぜなんだろう…?
おしゃぶりずっと咥えてるし…
親がいないのに不安を感じていないことに、違和感を感じ始めて
9ヶ月を過ぎてもハイハイはしませんでした。
3ヶ月くらいで首もすわり、お座りができたのは普通に6ヶ月くらいです。その後ずりばいをずっと続けて、ある日つかまり立ち→伝い歩き→一人歩きと進み、ちゃんとした(?)ハイハイはあまり記憶にありません。
歩き始めるのは若干遅く、1歳3ヶ月頃
このずりばいがとても素早く、ショッピングセンターなどにある遊べるスペースから、あっという間に脱走してしまいました。
目的があるようでもなく、とにかくどんどん離れていってしまいます。近くに親がいるのか、確認することもありません。振り向きません。
そこにおいてある遊具にはあまり興味を示さず、とにかく動き回り脱走。近くにいる他のお友達にもあまり興味がない様子でした。
あまりの衝動的な動きにほんの少しの違和感を感じていました。
「やっぱり何か違うなあ。と思い始めたのは、歩き出したころから
とにかく止まらない。じっとしていない。親のそばからどんどん離れていく・・・。
親がいないことに何の不安も感じていないようです。とにかく目に入ったものの近くに行く。次の瞬間にはまた別のところに行く。
少しでも目を離せば、道路にも飛び出すし、どこへ行ってしまうのか見当もつかない。
一緒に出掛ける時は、本当に気が抜けませんでした。当然子供用のハーネスは必需品。手をつなごうにもすぐに振りほどいてしまう。一瞬たりとも気が抜けません。ハーネスをつけることに私の家族は誰も否定的ではなかったので、その点は助かりました。家族が理解してくれると、それだけで気が楽になりますよね。
そんな三男に違和感を感じつつも、
「男の子だし、そういうこともあるのかなあ・・・。」
と納得しようとしていました。上の兄2人は男の子でもそんな感じはなかったのですが・・・。
グレーを実感した、1歳半健診
- 1歳半健診で雲行きが怪しくなる
- 言語の遅れを指摘される
1歳半健診で雲行きが怪しくなる
実際に1歳半健診を受けた時は1歳8ヶ月になっていました。
たくさんの親子。慣れないところにきて不安を感じ、お母さんにしがみついたり、後ろに隠れたり、初めはみんな緊張した様子。
ところが三男はここでも押さえがきかない。
受け付けさえ待てず、何回も脱走。捕まえてまた並びなおす。何かに興味があるのではなく、ただただじっとしていられないのです。
近くの友達と遊ぶこともありません。三男の番が来るまでの時間は、私には心休まらない時間でした。
というか、もう早く帰りたい一心です。周りの親子や健診の職員さんたちに迷惑をかけているという思いばかりになって、正直辛かった。
三男の多動は三男の番になっても変わりません。保健師さんと三者で行われるのですが、保健師さんは一人で座っている時間が長かったのではないでしょうか。なぜなら三男は脱走し、私はそれを追いかける。ひたすらその繰り返しだったからです。
隣のお子さんは大人しく座って、保健師さんの指示を聞いて検査を受けています。お母さんもニコニコ笑っています。
「普通ああでしょ。」
と悲しくなりながら三男を追いかけ連れ戻す。隣で座っている親子がうらやましかったです。
やっとつかまえても、じっと座らせておくだけで必死でした。 当然保健師さんの話もあまりゆっくり聞いていられないし、聞きたいことも聞けません。
周りのお子さんとは明らかに違う三男の様子に、
「やっぱりなにかある・・・」
と思い知ったのです。
検査の内容はあまり覚えていませんが、積み木を積むといった簡単な作業さえ、満足にできませんでした。
ただ、何もできなかったという記憶だけはあります。
言語の遅れを指摘される
このくらいの時期の子どもは、”ママ” や ”ブーブー” などの意味のある言葉をいくつか話せるようです。
うちの三男は一言もありませんでした。「あ~あ~」とか「う~う~」みたいな喃語です。
あっあっ、うーん!
ぱかぱかぱか・・・。
はっ・・・?(違和感)
それまでの三男の様子を見ていた係の人から、「言語の遅れがみられるので、検査をしてもらった方がいいかもしれません。あと、よろしければ療育の施設もご紹介します。」といったお話がありました。
「え~、言語の遅れ?療育?・・・マジか~。」心のどこかで不安に思っていたことが、現実として現れました。この健診、泣きたくなるくらい辛かった。というか、そっと涙しました。
「なんだろう・・・。ADHD?自閉症?」 この時私は結構へこんでいました。
「何でだろう。何がいけなかった?」答えのない問いばかりが浮かびます。
知り合いに相談すると、「そんな子いっぱいいるから大丈夫だよ~。」と励ましてくれます。そうも思うのですが、でも、多分母親にしか分からない自分の子どもへの違和感があります。
気のせいだよ~。
ふつうだよ~。気にしすぎ!
えっ?だんな、あほなの? 鈍感すぎるし・・・。
それでもへこんでいても始まらない。
このころから病院を受診したり、療育を受けたり、三男のグレーっぽさが始まりました。
生まれてから~保育園までのできごと
↓こちらの記事は、生まれて間もないころのお話です。
グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
保育園時代に気になっていたことの記事を書いてみました。よろしければお読み下さい。
【発達障害】グレーゾーンの子供のひどいいびきは、アデノイドによる睡眠時無呼吸症かも?治療で劇的改善!発達にも影響!?治療費は?
小学生時代
こちらは小学1年生、小学校でおもらしばかりしていた頃のお話です
小学1年生、勉強やおもらし、のどの手術(アデノイド除去)について書いてます
小学4年、普通級の子どもさんと上手くコミュニケーションが取れなかったお話です。
中学生時代
↓療育手帳の取得を申請しても、交付を受けることが叶わなかった時のお話
↓高校(専修学校)入学までの紆余曲折についてお話
↓義務教育の終わりが見えはじめ、将来について考えてたころのお話
↓三男の中学生時代について書いています。(現在、高校生です)
進路と将来
↓中学生になって支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事
↓体調の悪さを誰にも伝えられない不安について考えた記事
↓高校(専修学校)入学までの紆余曲折
↓こちらは日本政策金融公庫で借りた学費のお話です↓
高校生時代
↓こちらは高校(専修学校)へ入学してから初めての中間テストの結果です。
↓こちらは”専修学校各種学校連合会”についての記事です
出典:文部科学省公式サイトより