今回は、私の三男がどのように保育園時代を過ごしてきたか、その成長の過程をお話ししたいと思います。
三男は境界知能・発達障害のグレーゾーンで、特に字を書くことや工作といったことが苦手でした。保育園の頃から少しずつ分かってきた三男の個性や苦手なことは、同じような境遇のご家族にも共感いただける部分があるのではと思います。
発達障害グレーゾーンの子どもと共に歩む日常がどのようなものか、少しでも感じてもらえれば幸いです。
- 保育園時代から見えてきた、三男の特徴や苦手なことに焦点を当てています
- 特に苦手としていた「字を書くこと」や「工作」など、具体的なエピソードに触れています
- 発達障害のグレーゾーンの子どもと向き合う中で得た気づきや経験を親目線でお話します
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事(+ちょっと愚痴)などを通じて、少しでもグレーゾーンのお子さんを持つお父さん・お母さんのお役に立てるような記事が書ければと思っています。
境界知能の子どもと歩んだ保育園時代
- 初めての保育園 新しい環境への挑戦
- 苦手なこととの向き合い方 工作や絵などの創作活動
- ひらがなの練習と対策法
初めての保育園 新しい環境への挑戦
保育園には年少から入園しました。
療育施設に通っていたおかげで、本人も集団での過ごし方は多少分かってはいたでしょうが、親から離れて長い時間過ごすことになる保育園への入園は、私には気がかりなことが多かったです。
療育施設では常に親子一緒に行動します。なので、どこかへ脱走しようとすればすぐに引き戻せますし、みんなと違うことをしていたら、「今はこれをやるんだよ。」と軌道修正することも容易でした。困ったことがあれば助け舟を出せるし、けんかになりそうな時も間に入ることもできます。
でも、保育園ではそういうわけにはいきません。たくさんの子どもたちに先生は基本的に一人です。常にすべての子どもに目を配るなんてことはできません。友だちとトラブルを起こさないか、みんなと同じ行動がとれるか、先生に迷惑をかけないか、いろんなことが気になりました。
それでも、同じ療育施設に通っていた友達もあと2人いて、それは心強かったですね。同じような悩みや困りごとを抱えるお母さんがそばにいてくれることは、心の支えになりました。
そして、いざ入園してみれば、加配の先生もついてくださって、気持ちも少し楽になりました。
なぜなら、私から離れて一人で行動するのは、ほぼ初めてだったからです。
療育施設に通っていた頃は、いつもどうにかこうにか捕まえて座らせていたものです。一人にしたらすぐにどこかへ走り出し、止まっていることなんてありませんでした。
が、予想に反して、大人しく座っているではありませんか。キョロキョロキョロキョロ、周りを見回してはいましたが、自分の場所を離れることはありません。
これはいったいどういうことなのか。そんなに突然、落ち着けるようになるものでしょうか。もしかしたら、三男の中で、”周りに合わせる”ということはできていたのかもしれません。療育施設では多くの子どもが落ち着きなく走り回ったりしていました。なので、「それなら自分も」という気持ちがあったのかもしれません。(本人は自覚していないでしょうが)
ところが、保育園では誰一人走り回ってなどいません。みんな座って先生の話をきちんと聞いています。そういう中では「ああ、ここは動くところではないんだ」という気持ちになったのかもしれません。そして三男なりに新しい環境での過ごし方に少しの緊張感も覚えていたのかもしれません。
何はともあれ、保育園という新しい環境は、わりとスムーズにスタートし、その後も大きな問題なく比較的順調に過ごすことができました。
苦手なこととの向き合い方 工作や絵などの創作活動
大きなトラブルや困りごとはなかったように思います
友だちと喧嘩できるような性格でもないので、毎日おだやかに楽しく過ごしていたようです。
でも、工作や絵などの創作活動は大の苦手です。
簡単な折り紙もままなりません。第一段階で、三角にきれいに折ることが難しい。そろえられません。何かをテープでとめようとしても、片方の手で押さえながらもう片方の手でテープをはるという、二つの動作がとても難しいのです。
そしておそらく、先生がやり方を教えてくれても、一度で理解することはできなかったでしょうね。仮に一つのことができても、次は何をやればいいのか分からず、一向に進まなかったことでしょう。
なので、作品展などで見る三男の作品は、明らかに先生の手が入ったものであったり、もはや何を作ったのか分からないような謎の作品だったりしました。
先生が、「顔を描くときは、ここが目、鼻、口、とだいたいの位置の目印を先に描いておきます。そうじゃないとぜんぜん描き始めないんですよね~。」と言っていました。先生も何とか三男本人がやれるようにと、工夫をしてくださっていたのです。放っておかずに、どこまで手伝えばできるのかを考えてくださって、三男が「ここはじぶんでやった!」という気持ちが持てるようにフォローしていただき、感謝しております。
創作活動の時は、たいてい先生がマンツーマンで手取り足取り手伝ってくれていたようです。そして、自分でやったという満足感と困った時は助けてくれるという安心感から、創作活動が嫌にならずに取り組めたのだと思います。
苦手なことを嫌にならないようにフォローするには、自分もできるという満足感を与えてあげること、困った時は助けてもらえるという安心感を与えてあげることが大切ですね。
ひらがなの練習と対策法
ひらがなの練習は…。
保育園では年長さんになるとひらがなの練習が始まります。
わたしはそれまで家でひらがなの練習や数字の練習、足し算の練習などはさせたことがありませんでした。これは兄2人の時も同じです。兄2人にも家でひらがなの練習などをさせたことはありませんでした。
でも、上の2人は知らないうちにひらがなが書けるようになり、数字も覚え、足し算もできるようになっていました。家で私がフォローしたことはありません。前もってやっておかなくても、そのうちできるようになる、と思っていましたし、実際できるようになりました。なので、三男についてもあまり気にしてはいませんでした。
けれど、三男の場合は少し違っていました。ひらがなの練習の時間、いっこうに書き出さない三男に、先生が「どうした?どう書けばいいかわからん?」と聞くと、「・・・こわい。」と答えたそうです。こわいってどういうこと?
家で字の練習などしたこともなく、三男が書く字を見たこともありませんでした。なので、三男が書く字に対して「きたない!」などと怒ったこともありません。
”お母さんに怒られるからこわい” ではないと思うのです。
”怖い” の意味もわかっていたのかどうか・・・。当時の三男は知っている言葉もまだ少なかったです。鉛筆はどう持つのか、どこから書きだすのか、いろいろ分からないことがあっても、どこがどう分からないのかを説明するのも難しいのです。そんな気持ちの中から、自分が知っている言葉の中で一番近い言葉を口にしたのだと思います。
書くことへの不安や、どう書けばいいのかわからない気持ちをうまく表現できずに、”こわい” という言葉になったのですね。
ほんとは、母さん、こわいし、、、
ひらがな練習ドリルの使い方
ひらがなの練習のドリルなどには、どこから書き始めるのかの番号もふられていると思います。
普通はその番号順に書けばいいと分かるのですが、三男のような境界知能や発達障害を持った子どもには、それすらどういう意味なのか分からない場合があるのです。
おそらく、鉛筆はこの辺りを持って、このくらいの強さで線を引く、1番から書き始める、線からはみ出さないようにきれいになぞる、そういったことのすべてに助言が必要なのだと思われます。
そして見落としがちなのが、ひらがなの練習をドリル上でしていても、今書いているひらがなは何と読むのかにつながらないことがあるということです。練習をするときは「今から書くのは”あ”だからね。」という一言をかけてあげた方がいいと思います。
ここでも大切なことは、自己肯定感を落とさないようにしてあげることです。
上手に書けなくても、まずは鉛筆を持ったことをほめ、線を引けたことをほめ、といった具合に、ほんの少しずつの進歩を認めてほめてあげることが本人のモチベーションを保つ秘訣です。
三男は今でも書くことは大の苦手です。当時私はそんなに気にしていなかったのですが、苦手感(能力的にも難しい)はそのころから本人は感じていたのでしょうね。
三男が得意だったことと意外な一面
- 身体を動かすことが大好き!走るのは速いです
- 意外な才能発見! 音楽を聴くことが大好きです
身体を動かすことが大好き!走るのは速い
当時好きだったのは、体を動かすこと、音楽を聴いたり歌ったりすることです。
生まれた時から走り回っていたような子どもだったので、走るのはそれなりに速かったですね。不器用なので、ボールをつかったりする運動はダメでしたが、素早く動く系の運動はぴかいちでした。
難しい動きをするダンスなどは覚えられないので無理ですが、保育園の運動会やお遊戯会のダンスなら何とかでできていました。まだ、周りのみんなとのレベルの差があまり大きくなかったので、楽しく一緒にできていたようです。
意外な才能発見! 音楽を聴くことが大好き
今でもそうですが、音楽を聴くことは大好きでした。また当時は歌うことも好きで、お気に入りの曲をよく口ずさんでいました。口笛も上手です。歌を覚えるのはとても早かったと思います。
音に関してすごかったのは、絶対音感のようなものがあったことです。
三男にキーボードの音をきかせると、「ド!」「ラ!」「黒!」(♯のところ)とほとんどすべて正解することができました。この能力(?)は小学校3~4年生くらいまではありましたが、今は確かめていないのでわかりません・・・。
境界知能の子どもと歩んだ保育園 子育ての悩みと小さな成長 まとめ
悩みの中で見つけた小さな成長と喜び
保育園の頃はまだまわりの子どもとの力の差はあまりなく、大きなトラブルはありませんでした。それでも、苦手なことは多く、先生に助けられて何とかやり過ごしていた感もあります。
三男の絵や作品やひらがなのドリルを見るたびに、「ああ、結構大変なんだろうなあ・・・。」とは感じていました。本人に「工作好き?」と聞くと、「きらい!」と答えていたように、上手くいかないことやどうやっていいのか分からないことが、「嫌い」ということになってしまったようです。
でもやらなくていいとは思わなかったので、みんなと同じ作業を続けていました。やらないでいたら嫌いにはならなかったのかはわかりません。でも、やってみなければ何ができるのか、何が不得意なのかもわかりません。
字を書くこともそうです。三男はこれは本当に苦手で大きらいです。
でも、ひらがなは書けるようになりました。ちゃんとできたのです。苦手だけど、頑張ってできるようになったのです。(でも、三男の能力的に、漢字を覚えるのは難しかったです)
定型発達のお子さんでも苦手なことはあります。でも、境界知能や発達障害を持つ三男のような子どもは、その苦手感が出てくるのが他の子どもよりも早く、つまずきも早い時期に来てしまうのだと思います。
それでもできることを一つひとつこなしていくことで、ゆっくりとではありますが成長していくことができます。親は忍耐も必要です。そして、できていることを認め、ほめてあげることがとても大切です。子どもが自信をもって取り組めるよう、仕向けてあげるのが大人の務めだと思います。
それでも、整列してピシッと止まっていることはやっぱり苦手な三男。運動会など、きちんと並んでいなければいけない時は先生にしっかり ”ロックオン” されていました・・・。
ロックオンされても、先生のことが大好きなので、自分からギューッと抱っこされに行きます。ほとんどセクハラ状態だったかも・・・。
先生すきだし!
出典:文部科学省公式サイトより
生まれてから~保育園までのできごと
↓こちらの記事は、生まれて間もないころのお話です。
グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
保育園時代に気になっていたことの記事を書いてみました。よろしければお読み下さい。
【発達障害】グレーゾーンの子供のひどいいびきは、アデノイドによる睡眠時無呼吸症かも?治療で劇的改善!発達にも影響!?治療費は?
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