発達障害グレーゾーンや境界知能のお子さんでなくても、子どもの進路には悩まされることが多いですね。
わが家の次男は大学を中退し、また違う大学へ入学するという、驚きの道を進みました。次男は次男で悩んだだろうし、親としてもかなり複雑な思いでした。
いろいろ悩まされることが多いのが子育て。それでも子どもがいるから親でいられる。
我が子に甘いつつじ屋の、春の出来事です。
うちの三男、グレーゾーンボーイです。
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事などを、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
大学生の次男、学校を退学し、違う学校へ再入学しました
実家から遠く離れた、九州へ向かう
次男が入学した大学を退学し、再度受験を行い実家から遠く離れた九州の大学に行ってしまいました。
長男も私たちと同じ県内ではありますが、一人暮らしをしております。
今家にいるのは、旦那、私、三男の3人。寂しくなりました。
実は次男君、それまでは違う大学に在籍していました。でも、自分のやりたいことではなかった。彼としては半分楽しみつつも、ずっともやもやした思いを抱えていたようです。
そして試験を受けなおし、念願の道への一歩を踏み出しました。
子ども(次男)の気持ち
それまで通っていたのは後期試験で合格した大学でした。
第1志望の前期試験はセンター試験の判定はA判定だったのですが、あえなく不合格。気落ちした状態で受験した後期試験でした。それでも合格できた時はほっとした気持ちだったと思います。この時、自分が興味のある分野の学部のある私立大学にも合格していました。どちらにするのか次男と話しましたが、本人は後期試験で合格した国立大学へ行くと決めました。
次男としては、私立大学は学費も高額だし、自分のプライド的にも国立大学を選んだのだと思います。
でも実際に通って授業を受けていくうちに、やはり自分のやりたいことではない、とモヤモヤがあふれてきたようです。講義の内容もハイレベルだったようです。興味がなく、ハイレベルな講義内容で、次男のモチベーションは下がる一方でした。
それでも一応は自分で決めた学校です。辞めたいとは言いづらかったでしょう。辞めた先がどうなるのか、本人も考えてはいたと思います。
「もう一受験したい。」
と言われた時、やっぱりそうくるよな、とも思いました。この時次男と話したのは、もし不合格だったとしても、今の学校は辞めずに頑張る、ということでした。
受験期の次男、ずっと暗い表情でした。もともとの次男は、おしゃべりではないものの、切れのいい発言と頭の回転の良さで、家族を楽しませてくれていました。それが、笑わなくなって、ほとんど話さなくなりました。正直私もどう接したらいいのか分からない時もありました。
次男としては、それが贅沢でわがままでもあること、お金もかかることなど、分かってはいるけれど、それでも再受験したいという気持ちとの板挟みで苦しかったのかもしれません。親への申し訳なさも感じていたでしょう。
親の気持ち
この一件、いろんな思いがありました。せっかく受かった学校を辞めるなんて。やりたいことがあるからって、それ、認めちゃっていいの?1年分の学費は?
これが自分の子供ではなかったとしたら、「そんなの有り得ない。今のところでやるしかないでしょう。」と突っぱねたと思います。理性では ”そんなのあり得ない” と理解していても、自分の子供となるとそんな簡単に切れない。
カンベンしてくれ~(お金が~)
自分が望んでいた学校へ行けなかった受験生なんて、数えきれないほどいます。やりたいことではなくても自分の気持ちに折り合いをつけて、受け入れている人が多いのが現実です。
生きていれば思うようにはいかないことばかり。その度にやっぱりやめたとはいきません。
それが分かっていながら、次男の再受験を私は認めてしまいました。旦那は当然大反対。とは言っても強く否定するほどではありませんでしたが、最後まで、それはないだろう、今の学校の方が絶対いい、と言っていました。旦那の意見は当然だと思います。
私としては、その時の次男の心境的に、その学校を続けられるのかも心配でした。正直なところ、嫌々の次男を何とか励ましながら学校へ送り出すというのも、結構しんどそうだなとも思っていました。再チャレンジして不合格なら少しは本人も納得できるかもしれないと思ったのです。かといって、不合格だった時に次男がどうなるのかも不安だったのですが。
学校の偏差値だけを見てもその時に通っていた学校の方が高く、就職のことを考えても有利だったと思います。
次男の気持ちもわかるけれど、それは通らないだろうという思い。世の中の現実。旦那の意見。私の意見。周りの意見。
そんな中でも、次男は自分の意志を通し、再受験をしました。
涙の合格発表
合格発表の日。次男はあまり期待していなかったようです。そばにいた私もかなりドキドキしていました。
「ダメだったら何て言えばいいんだろう・・・。」ずっと考えていましたが、いい言葉なんて思いつきません。
「不合格だったら、今のところで頑張るしかない…。でも次男、頑張れるのか・・・?」複雑でした。
スマホを見つめる次男。そして「フーッ!」と息を吸い込みながら、受験番号(合格)の画面を私に見せに来ました。
「あった!!」
その瞬間、私はボロボロに泣いていました。この時の次男の嬉しそうな、穏やかな表情。
そう、私は多分最初から合格してほしいと思っていたのです。
”そんなのでいいの?” ”今の方が就職いいのに” ”お金もかかるし” 反対意見を持ってもいたし、周囲の反対の声も聞こえていました。でも本当はずっとやりたいことをやってほしいと思っていた。
おれは、今の大学の方が良いと思う。
私自身、経済力があるわけではないので、大きな声で「やりたいことをやりな。」とは言えません。でもやっぱり次男を応援していました。
合格が決まってから、次男は少しずつ以前の明るさを取り戻していきました。
合格してからは、バタバタです
合格が決まるのが3月初め。そこからが忙しい。
まずはその時通っていた学校へ退学の手続きをしなければなりません。担当教授に連絡してから教授会を経て、退学が許可されます。次男を過渡に否定することなく、退学の手続きを進めてくださった学校の方々には感謝しています。
その時通っていた学校は、その学校がいいと望んで受験する生徒さんもとても多い大学です。合格させてくれたこと、迎えてくださったことに、また学校を変わりたいという気持ちを認めてくださったことに、いつか次男が感謝できるといいなと思います。
それ以外でも、生協の手続き、奨学金の手続き、やることはたくさんありました。
また、新しい学校の為の入学手続きやアパートの契約、家具家電の購入など、やることが多く、日々バタバタと過ぎていきます。
もう当分会えなくなるからと、長男以外の家族でショッピングモール、いちご狩り、桜の花見に出かけました。いつもはついてこない次男も、父親の寂しさを感じて、つきあってくれました。
お別れの時
そして4月1日。いよいよ九州へ。次男と私の2人で行きました。
アパートの部屋を整え、手続きをしてあっという間に時間は過ぎていきます。レンタカーでこまごまとした買い物を済ませ、アパートで次男を降ろします。
「これで帰るね。」(つつじ屋)
「うん、それじゃ。」(次男)
簡単なお別れでした。
そして駅から私一人、電車で帰ります。動き出す電車。ゆっくり後ろへ流れる景色。
その時、涙が滝のように流れ出しました。ちょっと待て待て。周りの人が何事かと思うだろ。窓の外を眺めるふりをして、人目につかないように必死。マスクはびちょびちょ。
川の両岸に満開の桜。桜を見てますますあふれる涙。
これまで桜は ”門出” ”お祝い” ”新しいスタート” といった、ウキウキするイメージでしたが、満開の桜のもう一つの面、”別れ” ”寂しさ” を初めて理解しました。
思えば、長男が家を出た時、いなくなった部屋の布団をたたみながら、泣いていたっけ・・・。私はすぐ泣く。
何が言いたいかというと、子供が自分の子供でいてくれる時間は、とても短い、ということです。
長い人生のほんの20年くらい。子育て中は思うようにいかないことや、心配なことも多く、「あー、毎日大変。」って思います。
でも、楽しいこともきっとたくさん。”親” でいられるのは ”子供” がいてくれるから。
長男、次男は自分の人生を歩み始めています。旦那さんのスネを盛大にかじりながら。手がかかると思っている三男も、一人で生きていく時はきます。
長男、次男が家を出たことで気づく、当たり前のこと。子供はいてくれるだけで幸せ。
長男へ。もっと頻繁にかえっておいでよ。学校、忙しくなるから、身体に気を付けて。
次男へ。夏休み、春休みは帰っておいでよ。しっかり食べて、身体に気を付けて。
三男へ。もっと勉強していいよ。頭も体も使って、たくましくなれ!
勉強はやだよー!
長男、次男、三男、そして旦那さん、ありがとう・・・なんとなく・・・。
えっ、、、?
↓こちらは支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事です。
↓こちらは日本政策金融公庫で借りた学費のお話です↓
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