「自分の感情すら感じる力が弱い」という特性を持つ、境界知能・発達障害グレーゾーンの三男。”楽しい”とか”頭にくる”といった分かりやすい感情は自分で把握できているのですが、”悲しい”とか”さみしい”とか”悔しい”と言った少し抽象的な感情はよくわからないようです。
そんな彼にとって「人が亡くなる」とはどういう意味を持つのでしょうか?今回、彼の大好きだったおじいさんが亡くなり、家族が悲しみに包まれる中、三男はどのように感じ、どう振る舞ったのか。
その反応から見える三男の特徴や、親としての悩み、そして将来の成長への期待についてお話ししたいと思います。
- 三男は「自分の感情を感じる力が弱い」という特性を持っており、悲しみや他者の感情に対する共感が難しい
- 大好きだったおじいさんが亡くなったのに、三男の反応はどこか「不思議そう」であり、悲しみの感情がなかった
- 共感力が乏しいがゆえに、他人との関係性を築きにくい境界知能・発達障害の子どもたち
私は地方在住の50代。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事(+ちょっと愚痴)などを通じて、少しでもグレーゾーンのお子さんを持つお父さん・お母さんのお役に立てるような記事が書ければと思っています。
↓他にも発達障害の三男の特徴について書いています。↓
境界知能・グレーゾーンの子どもの特徴 感情と悲しみのコントロール
- 今でも思い出すのは、おじいちゃん(義父)の告別式のときのこと
- 感情を「感じる」ことが苦手な三男
- 共感力に欠ける境界知能・発達障害グレーの三男
今でも思い出すのは、おじいちゃん(義父)の告別式のときのこと
おじいちゃんが亡くなったのに・・・
9月最初の日曜日、義父の一周忌法要がありました。
三男がおじいちゃん(義父)と過ごせた時間はそんなに長くありませんでした。
三男にとって、義父との思い出は多くはないでしょうが、遊びに行けばいつも優しくいじってくれていました。
告別式には、親戚、子供、孫、たくさん集まりました。
わたしの旦那さんは三人きょうだいの長男で、妹さんと弟さんがいます。妹さんにも弟さんにもお子さんがいて、おじいちゃんから見た孫は7人。悲しみがおおいがちな告別式ですが、たくさんの孫たちのおかげで少し雰囲気も柔らかくなっていました。
とはいえ、孫と言えど年齢はもうじゅうぶん大人。心の中に悲しく寂しい気持ちを抱えながら、義父とのお別れの時を過ごしていたのは明らかです。
お別れを惜しむ時間もままならないうちに、出棺の時がやってきます。義父に最期のお別れです。
その時、旦那さんの弟さんが、悲しみから声をあげて泣きだしました。きっとそれまでもぐっとこらえていたのでしょう。自分の子どもの前で取り乱さないように、我慢していたのだと思います。
その姿を見て、弟さんと同じように悲しみをこらえていた家族は、涙を流し、感情をあふれさせました。その場に居合わせたすべての人が、同じように悲しく寂しい思いでした。
おやじーー!うぇーん(涙)
感情を「感じる」ことが苦手な三男
帰宅後、喪主を務めた旦那さんも、やはり疲れや悲しさやいろいろで「は~っ・・・。」というところです。
その時三男、
〇〇くん、めっちゃ泣いとったね~。なんで~?(謎)
と一言。(旦那さんの弟さんのことを〇〇くんと君付けでよばせてもらっています。)
泣いていることが不思議だ、というニュアンスで言ってくるのです。
これは自分の感情をコントロール(抑えて)発言しているのではありません。
「はっ?自分のお父さんが亡くなったんだよ?悲しいでしょ?
じいちゃんいなくなって寂しいでしょ?」(つつじ屋)
「ううん、ぜんぜん。」(三男)
「じゃあ、じいちゃんじゃなくて自分のお父さんだったら悲しいでしょ?」(つつじ屋)
「ううん。ぜんぜん。なんとも思わん。」(三男)
「は?・・・・・。」(つつじ屋)
父さん死んだら悲しいでしょ?
ん、?ぜんぜん。なんとも思わんし!!
はっ…?大丈夫か?
ほんとにマジか…?
さすがに大好きな自分の父親が亡くなれば、三男も悲しくて泣くと思うのですが、そういう未来が今の段階では想像できないので、三男としては「なんともおもわん。」という言葉になってしまいます。「もしもこうなったら」「仮にこうだとしたら」というタラレバの話は三男には想像できないのです。
そして、悲しみから涙を流す家族に気持ちが全く分からないのも事実です。大切な人が亡くなる→悲しくてたまらない→涙があふれる、そういう感情の流れが理解できないのです。その気持ちを想像することができません。
共感力に欠ける境界知能・発達障害グレーの三男
人の気持ちを想像する以前に、三男は自分の気持ちさえもよくわかっていないと思われます。楽しい、嫌い、頭にくるといった分かりやすい感情は自分でもわかっているだろうし、言葉で伝えることもできます。しかし、そうではない、悲しい、寂しい、気が向かない、イラっとする、といった少し抽象的な感情は、自分で把握することは難しいと思われます。
まったく感じていないわけではなくて、何となく感じてはいるんだけど、自分の中で感情として言葉にできない、この気持ちは何という気持ちなのか、という感じかもしれません。
自分のことすら分からないので、人の気持ちまでわかるはずがありません。そう、人の気持ちに共感することが難しいのです。
そもそも境界知能ということは知的能力が多少低いです。なので考えることが苦手です。こうだからこうなってこうなる、という具合に順番に考えていくことができません。人の気持ちを考えて、理解することが難しいのです。
こうした特性はともすると、人でなし、空気の読めないやつ、などと誤解されやすいです。境界知能や発達障害を抱えるお子さんが、責められたりいじめられる大きな要因になります。わが家の三男のように、父親が亡くなって泣いている人を見て、「なんで泣いてるの?」なんて発言をされたら、やっぱり「なんだこいつ。」となりますよね。
ただそこに悪気はないのです。(それが逆にやっかいではあるのですが) けれど、そういう特性なんだと分かってもらうのは至難の業です。分かってもらうまでの関係性を築く前に、こいつは訳の分からないやつだというレッテルを貼られておしまい。周りの人たちとうまくコミュニケーションをとって社会生活を過ごすことが困難なのは、こうしたことも関係しています。
他人の感情や立場を自分事としては考えにくいのが境界知能や発達障害の子どもたちです。他人の気持ちに共感できないのですが、自分の気持ちにも共感できていないと思います。自分の感情に気づけていないからです。自分のことすら分からないからです。
自分の体調、今何を考えていて、何がしたいのか、これは好きなことなのか・・・。自分の中のいろんなことが、自分自身でも謎なのです。
境界知能グレーゾーンの子どもの特徴 まとめ
- 三男は、人の気持ちを考えたり寄り添ったりすることが苦手
- 実は、自分がトイレに行きたいか?も鈍感
- 感情の「ズレ」と成長への期待
三男は、人の気持ちを考えたり寄り添ったりすることが苦手
人の気持ちが全く分からないかと言えばそうでもなくて、相手が嫌だと思うことを三男が仕掛けることはありません。私が思うに、特に ”悲しむ” 気持ちがよくわからないようです。
”この人怒ってる” ということはわかります。
”それを言ったらあの人怒っちゃうよ、言わない方がいいよ。” ということもわかります。
でも ”悲しむ” ことは三男的には「なんで・・・?」となるようです。
これは本当に悲しい思いをしていないからなのか、三男の特性なのか・・・。
情緒面の成長を期待したいところです。
実は、自分がトイレに行きたいか?も鈍感
「トイレに行きたい」というごく当たり前の感覚。
けれど、三男にとっては自分がその感覚を感じることすら難しいようです。発達障害のグレーゾーンに位置する彼は、時々「トイレに行きたいのに気づかない」という困難にも直面しています。
ちなみに、高校生になった今でも立っておしっこができません。
なぜなら、おしっこをしようとすると、うんちが出てしまうからだそうです。身体の感覚もちぐはぐになっているのでしょうか…?
トイレ問題勃発についての記事は以下のリンクからどうぞ
感情の「ズレ」と成長への期待
三男は他人の気持ちに寄り添うこと、共感することが苦手ですが、怒っている人に対して「怒らせない方がいい」と感じることはできるようです。しかし、「悲しむ」という感情は彼の中ではナゾのようで、感情が重なることがありません。
この三男の特性が、成長によって少しずつでも変わり、豊かな感情が理解できるようになることを期待しています。
悲しんでいる人と同じように悲しんで自分の感情がコントロールできなくなるのも困ったものですが、共感できる心と思いやりの心をはぐくんでいければ・・・と思っています。
↓こちらはグレーゾーンの子どもに向けて書いた読書感想文の一覧です。
生まれてから~保育園までのできごと
↓こちらの記事は、生まれて間もないころのお話です。
グレーゾーンの三男にはこんな「あるある」な特徴もありました。
保育園時代に気になっていたことの記事を書いてみました。よろしければお読み下さい。
【発達障害】グレーゾーンの子供のひどいいびきは、アデノイドによる睡眠時無呼吸症かも?治療で劇的改善!発達にも影響!?治療費は?
小学生時代
こちらは小学1年生、小学校でおもらしばかりしていた頃のお話です
小学1年生、勉強やおもらし、のどの手術(アデノイド除去)について書いてます
小学4年、普通級の子どもさんと上手くコミュニケーションが取れなかったお話です。
中学生時代
↓こちらは療育手帳の取得を申請しても、交付を受けることが叶わなかった時のお話です。
↓こちらでは、高校(専修学校)入学までの紆余曲折についてお話しています。
↓義務教育の終わりが見えはじめ、将来について考えてたころのお話です
進路と将来
↓こちらは中学生になって支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事です。
↓こちらは体調の悪さを誰にも伝えられない不安について考えた記事です。
↓こちらでは、高校(専修学校)入学までの紆余曲折についてお話しています。
↓こちらは日本政策金融公庫で借りた学費のお話です↓
高校生時代
↓こちらは高校(専修学校)へ入学してから初めての中間テストの結果です。
↓こちらは”専修学校各種学校連合会”についての記事です